夜行列車を乗り継ぎ、北海道の販路を開拓する
人材が、しばしば“人財”と表現されるように企業にとってのかけがえのない宝だとするならば、川口と中村は幸一が手にした最初の宝であった。
川口は入店するやいなや、猛烈な勢いで働き始めた。
夜行列車の乗り継ぎをものともせず、北海道の販路開拓に乗り出したのだ。青函連絡船では一番安い船底の三等船室に寝る。衛生状態が悪いためシラミを移され、寒い北海道なのに慌てて下着を捨てるといった災難にも遭ったがめげなかった。
北海道の市場は処女地に近い。
「京都から来ました」
と言うと、遠いところからやってきたことへの同情もあって10軒に1軒は買ってくれた。
夜行だと京都に明け方帰ることもしばしばだったが、運悪く警官の職務質問に引っかかると大変だ。いかつい身体なのに、カバンには模造真珠のネックレスが入っている。いかにも怪しいということでしつこく尋問され、9時を待って会社に電話を入れ、ようやく“釈放”してもらったことさえあった。
資産を整理し直し、近代的な経理を導入
川口から少し遅れて入った中村も負けてはいない。
粂次郎から帳面づけを引き継ぐと、塚本家の家計と和江商事の経理が一緒になっていることに気づいた。個人商店にありがちなことだ。まずはこれを分離し、その上で和江商事の資産を整理し直し、近代的な経理を導入した。これで資金繰りがはっきりとわかるようになった。
中村が感心したのは、経費の水増しなどが一切なく、思った以上に帳簿がしっかりしていたことだ。幸一も八幡商業で経理の基礎は学んでいる。我流だったが月に1回店を休んで棚卸しをするなど彼なりに一生懸命やってきたのだ。
幸一の商売に対する真摯さに好感が持てた。
中村の経理・財務の知識は一流であり、川口の営業力は時として幸一をもしのいだ。
彼らの能力の高さは、社員が1万人ほどになり、グローバル企業となったワコールの副社長として問題なく通用したことでも証明されている。