「ずるい」と批判する人たち
今回もまた「国民総背番号制」を嫌ったのと同じ理由で、「マイナカード」は憎まれているのだろうか。
微妙な違いがある。
51年も前の「朝日ジャーナル」と同じく、「個を否定する」とか、「高度管理社会」といった紋切り型で批判している人たちも少なくない。制度そのものが許せない、というわけである。
政府の「ずるさ」への非難が、これまでとの違いとして挙げられる。
朝日新聞の看板コラム「天声人語」は、6月25日付で、「カードの取得はあいかわらず任意とされている」にもかかわらず、健康保険証としての利用や、母子健康手帳や図書館カードなどとの一体化にむけた方針が示され「外堀をどんどん埋めておいて、でもカードの取得は自分で選んだ」とするのは「じつにずるい」と指弾する(*2)。
「天声人語」が、「マイナカード」が広まる最も大きな要因となったはずの「マイナポイント」にひとことも触れない。それこそ「ずるい」のではないか。
さらに「任意」、つまり「自分で選んだ」かたちを保ったのは、新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種と重なる。「天声人語」は、どこまで「任意接種」を「ずるい」と糾弾していたのだろうか。
当該の6月25日付「天声人語」の「マイナカード」を、そのまま「新型コロナウイルス感染症ワクチン」に置き換えても、じゅうぶん意味は通じる、と考える人もいるにちがいない。
「努力義務」のワクチンとの共通点
新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種は、感染症法上の「努力義務」とされた。マイナカードについては、「天声人語」が注目するように、政府の「デジタル社会重点計画」のなかで、行政手続きのオンライン化そのものが「自己目的化しないように」とくぎを刺されている。
マイナカードとワクチンは、たしかに違う。
いっぽうで、すでに感染症法上の扱いが、2類から5類に変わってもなお、「第9波が始まった可能性」などと危機感を煽り、任意の「ワクチン接種を検討してほしい」と、尾身茂氏が呼びかける(*3)。
尾身氏が善意なのか、それとも医療界の利権を代弁しているのかは、わからない。
ワクチン接種が医療機関をはじめとする医師たちの利益につながると言われているのとは逆に、「マイナカード」の健康保険証としての利用をめぐっては、医師の団体「全国保険医団体連合会」にとっては不都合なようである。
同会は、「このままでは国民の命や健康、個人情報、財産を大きく損なう恐れがある」として、マイナ保険証の運用停止、ならびに、来年秋に予定されている個別の保険証廃止方針の撤回、この2点を強く主張している(*4)。
ワクチン接種もマイナ保険証反対も、ともに任意でありながら「国民の命」を盾にしている点で、医療界の考え方は共通しているのではないか。