「書籍だけ」の不可思議

いずれにしても、比較的鮮度の高い情報を扱ってきた「雑誌」は、より即時性が強い情報発信に長けたウェブやスマホ等での各種娯楽に代替されてしまう部分が大きかった。一方で、まとまった物語や情報・論理をパッケージ化した「書籍」に対する需要は根強い、と言える。

加えて、官民あげての読書推進活動は圧倒的に「書籍」偏重であり、「雑誌」は読むべきものとされてこなかった。推進するまでもなく、1990年代まで雑誌は子ども・若者に積極的に読まれていたからだ。

飯田一史『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社新書)
飯田一史『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社新書)

だから少子化および出版市場全体の減少傾向に抗うようにして、書籍“だけ”が政策的なテコ入れによって、平均読書冊数が伸びたのである。

余談ながら、筆者はこうした書籍偏重の読書観には問題があると考えている。というのも、子どもの「本離れ」と言われた80〜90年代にも雑誌は大量に読まれていたし、書籍の本離れがピークとなった90年代には、「週刊少年ジャンプ」が653万部(95年)、「週刊少年マガジン」が426万部(96年)、「コロコロコミック」が200万部(97年)とマンガ雑誌が歴代最高発行部数を次々に記録したからだ。

書籍を読む量が60年代、70年代と比べて減っただけで、雑誌やコミックスといった出版物はよく読んでいたのに「本離れ」と捉えられていたのは、あまりに「本」「読書」の定義が狭量だったと言える。この傾向は今も教育界、マスメディアで続いている。

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