“学歴フィルター”という差別
やっかいなのは就活に関する問題が露呈する度に、就職のルールが次々と改定され、再三見直されたことが、よけいに学歴主義を見えにくくしてしまった点です。
さらに、就職活動は年々画一化され、就活のデジタル化が進み、企業は欲しい大学の学生をフィルタリングできるようになりました。いわゆる“学歴フィルター”です。
フィルタリングするのは「人」ではなく、「コンピューター」ですから、差別するほうにも、されるほうにも生々しさがありません。完全にブラックボックス化しているので、企業は「知らぬ存ぜぬ」で簡単に否定できるし、学生も学歴で差別されている気がするけど、「差別された自分の学歴」を受け入れたくない気持ちもあるので、「これって学歴フィルターじゃね?」と釈然としない気持ちをSNSで呟く程度です。
差別はする側の問題なのに、なぜ俎上に載せるのはいつも「差別された側」なのか。理不尽としかいいようがありません。
しかも最近多用される「有能人材」という言葉も根っこは学歴主義と同じなのに、言葉が変わるだけで感じ方も変わるのは実に不思議です。刺身好きに「死んだ魚好き?」と聞いても、誰も「好き」とは言わないと同じ理屈なのでしょう。
「学歴は高校時代に努力した証」は本当か
学歴主義を肯定する人たちは、「優秀である可能性が高い者を見極める指標に学歴がもっとも合理的」「学歴は高校時代に努力した証」と豪語しますが、「自分の能力や努力」と信じている力は、「あなた」自身ではなく、「出身家庭」によるところが大きい。なのに、多くの人たちがあたかも自分の手柄のように言い募ります。
『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)の著者である社会学者・橋本健二の分析によれば、新中間階級出身者たちは当たり前のように大学に進学し、当たり前のように新中間階級になることができた。「しかし、それは恵まれた家庭環境の下に育ったからであって、とくに彼らがもともと能力的に優れていたからではない」と指摘しています。
同様の傾向は海外でも認められています。
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の分析では、ハーバードやスタンフォードの学生の3分の2は、所得規模で上位5分の1に当たる家庭の出身者だったそうです。
「個人の能力」と誰もが信じて疑わないスポーツの世界でも、大学にスカウトされて優先的に入学したスポーツ選手のうち、家庭の所得規模が下位4分の1に属する学生はたったの5%。悲しく残念なリアルですが、親ガチャは確実に存在するのです。