「損得勘定がすべて」になると損をする
以上のことを踏まえたうえで、なお私は、俗人的な問題として、有給制度は「ほどほどに使えばいい」という考え方を支持します。
そのわけは、「労働の現場を、損得勘定だけで判断することは、結局得にならない」と思っているからです。
有給休暇は絶対に使い切らなくてはならないという人は、それを使わなければ損をすると考えているのかもしれません。
でも、その人は、どんな場合にも、自分の利得を基準に行動する人間であると周囲から思われるリスクについて、過小評価しているように思います。
現に、あなたのように、「有給は使い切らないと損だ」という考え方に対して、違和感を覚える人がいるわけですから。
私は、ものごとを損得勘定で考えることを、悪いことだと言いたいのではありません。しかし、すべてのものごとを損得勘定で考えることは、あまり賢明とは言えないと思っています。
組織が生き延びるためには「贈与交換」が必要
よく、コスパがいいとか、悪いとか言いますよね。これも同じなんです。コストパフォーマンスだけを追い求めている人が見落としているのは、「そういう人間を他者がどう見ているか」ということなんです。私などは、コスパという言葉を使うのを聞くだけで、その人間とは距離を取りたいと思ってしまいます。結局、コスパ至上主義は、コスパが悪いという皮肉な結果になりそうです。
さて、損得勘定には、他者に対する贈与という考え方が入り込む余地がありません。しかし、あらゆる家族、組織、団体が持続的に生き延びていくためには、その内部で贈与交換が行われている必要があると私は思っています。いや、これは私だけではなく、多くの民族学者、文化人類学者の研究の成果でもあるのです。
実感としても、損得勘定が支配的な家族って、うまくいくわけはないと思いませんか。
適当にやっているようで、けっこううまくことが運ぶ組織というのは、そのメンバーが、あまり損得勘定に縛られることなく、規則に縛られることもなく、自然にふるまえる組織なのだろうと思います。