市民生活を営めるのは、「法」を意識する必要がないから

法律について考えてみればわかりやすいかもしれません。刑法、刑事訴訟法や道路交通法といったものには、市民生活を営んでいくうえで障害になることを行った場合の、行為の要件と、それに対する処罰が規定されています。最高で何万円の罰金とか、何年の懲役とかです。

たとえばスピード違反は何万円以下の罰金とか、窃盗は最高で何年の懲役というように、違反の要件と、刑の範囲を定めているわけです。

よく「法」の抜け道を探そうとする犯罪者がいますね。かつて、ロス疑惑という事件がありましたが、あの事件の容疑者になった人なども、刑務所でやたらと刑法を勉強して、法の抜け道、法のグレーゾーンを研究していたということを聞いたことがあります。

しかし、普通、人は、「法」を意識することはほとんどありません。もし、人が「法」を意識するとすれば、それは事件に巻き込まれたか、あるいは自分が事件に関与している場合に限られます。それは、普通の状況ではなく、不幸な状況だと言わざるをえません。

私たちが、普通に市民生活を営めるのは、「法」を意識する必要がないからです。「法」を意識しなくとも、「いい加減」の範囲で自分が欲するままに行動して、誤ったり、罰せられたりすることがないからこそ、自由に行動できるわけです。

理想は自然に働き、自然に休むことができる状態

だいぶ話が飛んでしまいましたね。

育児休暇などの「制度」のお話をしているところでした。

私は、原則的には、産休や育児休暇、保育園入園の機会や時短勤務の制度の現状は、まだまだ十分と言えるものではなく、改善や是正の余地はたくさん残っているし、制度をもっと広げていく努力をするべきだと思っています。西欧諸国との比較では、日本の労働者はめいっぱい制度を使ってもまだ足りない状況なのかもしれませんからね。

手をつないで歩く3人の家族
写真=iStock.com/TATSUSHI TAKADA
※写真はイメージです

ところで、何ゆえに制度を広げていくべきなのでしょうか。それは、各々が属している共同体の仲間同士がより生きやすくするためですよね。生活の質を向上させるためでもありますね。もし、ほどほどに制度を使って、それで多くの社員が満足するということがあるとすれば、それはかなり理想的な労働環境にあると言ってよいのではないでしょうか。つまり、社員が自然に働き、休みを必要とするときには自然に休むことができるという状態です。