これらの動作を実行することで嫌なことを忘れるという条件づけをする。すると、おもしろいように気持ちを否定から肯定に切り替えることができる。キリスト教の信者が胸の前で十字を切る動作をすることで、パッと気持ちを切り替えられるのと同じだ。そうすれば3秒で肯定的な「快」の状態に持っていくことができる。
感情脳は常に「快」か「不快」かに振れている。楽しいことがあったら快で、苦しいことがあったら不快になる。正常な人間は仕事をすると苦しいと感じるが、苦と楽は常に一対になっているから、苦しい仕事をすればするほど、その分反対側への振り幅も大きく、やり遂げたときには大きな達成感を得ることができる。苦しくない仕事をしていたら振り幅も小さく、本当の楽しさも味わえない。
マラソン選手がなぜ過酷なマラソンに何度も挑むかといえば、とても苦しいからである。苦しければ苦しいほど達成したときには喜びを味わえる。苦労を楽しむという錯覚をしているのだ。昔の人は「石の上にも3年」と言った。どんな仕事でも苦しい先には光が見えてくる。
ところが多くの人は苦労を嫌い、うまくいかないことを他責しているので、常に「不快」の状態にあっておもしろくない。仕事も上司に言われるからやるのであって、これは消極的自己犠牲にすぎず、一生懸命ではあっても本気ではない。本当に人生を楽しめるのは、積極的自己犠牲ができる本気の人だ。
一生懸命と本気の違いは、その大本に「愛」があるかどうかである。身近な例でいえば、お母さんは赤ちゃんが夜中に泣いても起きて世話をする。そこには愛があるからだ。でも、消極的自己犠牲によっていやいや世話をしていると、育児ノイローゼになってしまう。ビジネスマンも同じで、誰かひとりでも本気で愛する人がいれば、その人のためにがんばろうという気持ちになるはずだ。