男尊女卑の競馬会に胸をさらしで隠して弟子入り
父の馬喰仲間に弟子入りすると、大好きな「馬っこ」と共に暮らす道を選んだのです。
そして、仕事で行った盛岡の黄金競馬場で競馬と出会います。
優れた筋肉に恵まれた、選り抜きの美しい馬たちが、広いターフを駆け巡る姿に澄子は魅了されました。そして、それを駆る騎手を見て、
「私もなりたい!」
そう強く願うようになったのです。
といってもまだ競馬学校のような気の利いたものはない時代。騎手になるには、調教師に弟子入りして、男ばかりの兄弟弟子と厩舎に住み込み、怒鳴られたり引っぱたかれたりしながら、体で仕事を覚える他ありません。
おまけに、当時の競馬界は、寝藁を女がまたいだだけで穢れると嫌がられる男尊女卑の世界です。「女は騎手になるべからず」というルールこそありませんでしたが、それは単に誰もそんなことを思いつかなかったからに過ぎないのでした。
幸い、馬喰の親方のつてもあり、福島競馬場の調教師に弟子入りすることになりましたが、その時、師匠は一つの条件を出しました。
「間違いが起きないよう、髪も服装も男になり切ること」
この言いつけを澄子は守り、髪は切ってオールバックに、胸の膨らみはさらしをきつく巻いて隠しました。
兄弟子たちには女であることがすぐにばれたが…
ただ、後に「小柄でポチャポチャとした美人型」と新聞に書かれることになる16歳の娘が性を偽るのは、やはり無理があったようです。
結局、同宿の4人の兄弟子たちにはすぐばれました。
しかし、兄弟子たちは正体がばれても邪険にせず、逆に事情を聞いて感激、澄子を応援してくれるようになりました。
澄子は、現場というか、半径50メートルの範囲だと、男たちの支持、応援を得ているんですね。それは、澄子のどんな雑用でも進んでやる生真面目さ、馬のことだったら誰にも負けない実力、そして、夢にかけるひたむきさに打たれてのことでした。
女であることは公然の秘密となり、周囲の理解も得、まずまずという感じで修業生活を送っていた澄子ですが、不運が襲います。師匠が急病で倒れたのです。厩舎は解散となり、澄子もやむなく故郷の岩手に帰ります。
「……乗馬ズボン履いて、馬に乗って颯爽とこの道を歩いていました。男装でね。私はまだ子供だったけど、カッコいいなあと思って眺めていましたから」
この頃の澄子の姿を覚えていた古老がそう語っています。(吉永みち子『繋がれた夢』)