仕事に誠実な記者にしっかりと向き合う人

安倍さんとの距離を縮める一つのきっかけになったのは、2003年、清和会所属の坂井隆憲衆議院議員が、政治資金規正法違反と詐欺の疑いで東京地検特捜部から捜査を受け、逮捕許諾請求が行われた時でした。

法務省時代に逮捕許諾請求事案が続いたこともあり、私は多少の知見を得ていました。そこで、この事件の読み筋について話してみたところ、初めて安倍さんから「岩田さんの得意分野なんだね」と耳を傾けてもらえるようになったのです。

その後、私は、安倍さんが、首相候補の一人となるならば、法務行政にも関心を強めるべきではないかと考え、「永田町にいるとなかなか見えない世界を見てはいかがですか」と府中刑務所の視察を提案しました。当時の府中刑務所は、過剰収容問題が深刻でした。

外国人犯罪者が大声で叫んだり、刑務官につかみかかったり。そんなすさまじい状況を見た安倍さんは愕然としていました。以来、矯正行政への関心を深めていき、第1次安倍内閣が発足した際には、広島の少年院を視察しました。

安倍さんと音信不通になったことも

小泉内閣も終盤にさしかかると、安倍さんから組閣の内容を少しずつですが、いち早く聞けるようになってきました。NHKで次々に大臣内定の速報が流れる中、総理室で小泉首相が安倍さんに「この速報、一体どういうことなのだろうか」と口にしたそうで、後から「緊張感が走ったよ」と冗談めかして言われたこともありました。

安倍さんは自分にとって耳あたりのいいことを言う人だけでなく、リスクを取って耳に痛い話をする人のことも評価していました。「それはうまくいかないと思います」とか「世論と乖離かいりしているのではないでしょうか」などと意見を言うと、「私はそうは思わないけどね」と憮然として電話を切ってしまうこともありました。

ところが後になると、「確かにその通りだったね。参考になった」と口にすることもありました。批判をすると関係を断ってしまう政治家を見かけますが、安倍さんはそうではありませんでした。夜、さまざまな人に電話をかけて情報収集した後、一人でじっくり自省するのが常でした。

そのことが、結果として最長政権を築くことになったのではないかと思います。

自らに対してゴマをすることを良しとする政治家はいますが、他方で多くの有権者たちと接するのが仕事。それだけで深い信頼関係を構築できるほど単純なものではない、と感じています。

ただ、再登板を実現し、求心力が高まっていた安倍さんに対して私が強い物言いをした時は2週間ほど連絡が取れなくなってしまい、さすがにかなり消耗しました……。