また同じ失敗を繰り返したかもしれないと思った

第1次内閣の退陣――。あのときも、8月6日の広島で、安倍さんは、痩せた体で足を引きずっていました。「退陣」の二文字が私の頭をよぎり、連日、安倍さんの携帯を鳴らしました。安倍さんは「また腸が悪くなり、数値が悪化してしまったんだ」と言います。

私は不安な気持ちで一杯になりましたが、同時に「記者としての、あの失敗を繰り返してはいけない」とも思いました。私は「第1次内閣で、不本意な辞め方をしたのだから、今回は絶対に投げ出してはいけない」という言葉が喉まで出かかったのですが、このときは様子を聞くだけにとどめました。

お盆が近づいた8月のある日、安倍さんの声には力が失われ、慶応大学病院に入院する可能性も口にしました。思わず私は「二の舞を演じてはいけない。憲政史上最長政権を築いたリーダーが同じ辞め方をするのはありえない」と、つい強い口調で言ってしまいました。

私は「しまった」と思いましたが、後の祭りです。安倍さんは「しばらく考えてみる」と噛みしめるように語ったので、退陣は避けられないと悟りました。私はそれ以上は何も言いませんでした。その日から安倍さんとは電話もせず、不安な気持ちで退陣に向けた予定稿を書きながら、事態を見守っていました。

複雑な思いを抱えながら「安倍首相、退陣の意向固める」と速報

いきなり退陣を表明するかもしれない。そんな不安を抱えていた8月下旬、安倍さんから「岩田さん、よく考えて、結論を出したから」と伝えられました。そして、こうも言いました。「今回は同じ轍は踏まない」と。

安倍さんは秋冬のコロナ対策をまとめ、8月末にはトランプ米大統領やプーチン露大統領など多くの首脳たちと電話会談をしています。次の政権のために下準備をし、自らも余力を残す形で辞める、という意味だったのだと後から察しました。

私は複雑な思いを抱えながら、特ダネとして「安倍首相、退陣の意向固める」とテロップで速報しました。そして特設ニュースのため、すぐにスタジオに入り、辞任の経緯や今後の課題を淡々と解説しました。でも、頭の中は真っ白。口は機械的に動いているのですが、目の前のモニターに映る自民党本部の風景や、あわただしく出入りする国会議員たちの中継映像は、モノトーンで静止画のように見えました。

ただ同時に、第1次安倍内閣の退陣で情報が取れなかった、という自らが引きずっていた失敗の過去を、今回の退陣でようやく克服することができたのかな、とも感じました。