NHKへの入局を決めるが、暗闇のスタートだった
NHKへの入局を決めたのは、「いろいろな世界を知ることができるマスコミに身を置いてみたい」という、理屈では説明のつかない気持ちがふつふつと芽生えたからです。ただ、実際に入社してみると、そんな漠然とした気持ちでこの世界に足を踏み入れた同期は見当たらず、高い志を抱き、学生時代を通じて、海外でボランティア活動をするなど、多くの経験を積んでいる人ばかりでした。
4年間、単調な「砂漠の三角生活」を送っていた私にとって、マスコミの世界は異次元そのもの。研修で行われる「模擬記者会見」の時も、私だけ質問が思い浮かばず、いちばん後ろの席で顔を赤らめている始末でした。
記者を続けていく希望や自信は早くも崩れ去り、すぐにでも会社を辞めてしまいそうな、そんな暗闇のスタートでした。
辞令が出たのは配属希望とはまったく違う岡山
研修を終え、配属先の希望を聞かれた時には「横浜、静岡、名古屋」と答えました。一人暮らしの経験が無かったため、実家の千葉からできるだけ近く、新幹線で帰省することができ、気候が温暖なところがいいなと思ったからです。ところが辞令は岡山でした。
たしかに「新幹線は通っているし、晴天も多い県だ」とは思いましたが、親戚はもちろん、知人もいません。そもそも旅行ですら中国地方自体に行ったことがなかったので、不安でいっぱいでした。
岡山での4年間はいわゆる「サツ回り」として警察や検察を担当し、事件・事故の取材をしていました。当時はどの社も先輩たちはとても厳しく、また事件取材は独特な世界です。
事件記者は、いわゆる「夜討ち・朝駆け」の取材がメイン。夜は捜査関係者の帰宅後に、朝は通勤前に自宅を訪ね、捜査の進展状況や逮捕日(いわゆるXデー)を聞き出そうと努力しました。独自性の高い情報を他のテレビ・新聞社に先駆けて掴み、「特ダネ」を報じるためです。