警ら中の警察官に「死んじゃだめ!」と声をかけられた
そのため、捜査員に「容疑者をいつ逮捕するのか」「事件にいつ着手するのか」などと聞くのですが、最初は要領がつかめず、「そんなこと言えるわけないだろ!」と怒鳴られっぱなし。そして事件が起きれば、いち早く現場に行くのですが、勢い余って規制線を越えてしまい、また怒鳴られました。そんなことが365日続くわけです。
私は事件取材が本当につらくて、夜回りの途中、川のほとりや田んぼのあぜ道で泣いていたこともありました。ある夜、川べりでしゃがんで将来のことを考え込んでいると、パトロール中の警察官が、「おえん(だめだ)! 死んだらおえん!」と駆け寄ってきました。自殺未遂と誤解されたようでした。そのときほっとする気持ちがこみ上げてきましたが、警察は取材先。後から猛烈に恥ずかしくなりました。
巡査部長から言われた「ひとこと」が支えになった
転機となったのは、取材先の巡査部長のひとことでした。その日は昼下がりの裁判所の裏玄関。私は川べりの時と同じように、しゃがんで悩みを深めていました。すると、たまたま逮捕状を取りに来ていた取材先の巡査部長が私をみつけ、こう言葉をかけました。
「新人さん、最初は誰でも不安はつきもの。会社はいつでも辞められる。だけど、小さくても良いから『私はこれをやりました』という、自分なりの実績がないと、これから先の人生、敗北体験だけを引きずって生きていくことになるんじゃないの。まずは何でもいいから、小さな実績を作って、辞めるならばその後にしたら?」
この言葉は、その後の記者人生の中で、長く私を支えることになりました。
その日を境に、「夜討ち・朝駆け」を徹底して行いました。私は子供の頃、水泳を頑張っていたこともあり、当時は体力に自信があったんです。早朝から夜遅くまで取材に明け暮れました。一見、事件のない平時にも、サンズイ(汚職事件)がはじけるのを警戒して、警察署をくまなくまわり、知り合いを増やす努力を続けました。またどんなに小さな事件でも、「どんな背景があるのか」と精緻に取材することを意識しました。
すると、少しずつですが「特ダネ」を取れるようになりました。最初に掴んだ特ダネは「中年男性がパンを50個盗んだ」という単純な窃盗事件。ただ、この事件には特殊な背景もありました。阪神大震災で家を失い、その後、岡山まで流れ着いたものの、放浪、空腹のあまり、業務用軽トラックから50個のパンを盗み、食べてしまったというのです。
事件をいち早く報じるだけでなく、背景も含めてニュースにする。私にとって初めての成功体験となりました。