「富士通でこれなら日本の他の企業は…」
田中の再びの依頼によって、福田は翌年に富士通の取締役全員のシリコンバレー視察を受け入れ、SAPのデータ駆動型経営について改めて説明した。それをきっかけにして富士通が変わることを期待していたからだ。
しかしながら、メディアなどを通じて富士通の変革が進んだという話を聞くことはなかった。
「富士通でこのようなレベルなら、多くの日本企業は相当に危ないのではないか」。
そう思った福田だが、一方で富士通は世界的に競争力のある技術や優良な顧客資産、そして良い人材も持っているとも感じていた。企業としてのカルチャーも、時代錯誤になっている部分はあるが良いものを持っている。社員一人ひとりが「きちっと」している。真面目で勤勉というのは世界的に見ると大変価値があるし、資本主義に傾倒して多くの欧米企業が失ってしまったもの、GAFAM(グーグル、アマゾン・ドット・コム、フェイスブック〔現・メタ〕、アップル、マイクロソフト)にないものがあると考えていた。
福田は富士通を変えられたら多くの日本企業のリファレンスになると考え、時田の招聘を受け入れて富士通に転じ、富士通のトランスフォーメーションの指揮を執ることになる。
会社に対する無関心レベルが度を越えていた
福田が富士通に入社して最大の問題だとすぐに気づいたのは、グループ全体を覆う「会社に対する無関心」だった。
「会社を変革することに対して、実は抵抗勢力らしき存在がいませんでした。みんなが変革には賛成する一方で、会社に対するエンゲージメントが非常に低く、何のために富士通にいるのか、何のために仕事をしているのかを考えているように見える社員が少なかったのです」と福田は懐述する。
「上司に言われて仕事をしている」「残業代がつかなくなるので、幹部社員になりたくない」という従業員のリアルな声もあった。数万人が参加しているはずの社内SNSで社長の時田がコメントをつけても、「いいね!」などの反応が100に満たない。グループ12万人が閲覧できるはずの社内ポータルにトップメッセージをアップしても、閲覧数が2万~3万しかいかない――。その一方で、社員アンケートを取ると「他の部署が何をやっているのかが見えない」という不満も出てきていた。