逆切れする夫も、外では普通の「いい人」

それで私が「夫さんがこうおっしゃっていました」と伝えても、「いつもそういうの口先だけで本気じゃないんです。怖くて信じられません」と妻は気持ちを変えず、夫のところに戻りません。謝罪したはずなのに妻が帰ってこない、となると今度は夫から「こんなに謝っているだろう! なんでわからないんだ!」「弁護士がちゃんと伝えてないんじゃないのか!」と激昂されることもあります。

こう書くと、その男性らは常軌を逸した人物だと思われるかもしれませんが、実際には、「ごく普通の」という表現がぴったりあてはまる人ばかりです。友人や職場の同僚たちは、彼が妻や子にDVやモラルハラスメント(モラハラ)をして離婚を申し立てられたと知ったら、「まさかあの人が」と言うでしょう。家で妻や子にDVやモラハラをする夫も、一歩家を出れば毎日まじめに出勤し、仕事をし、「いい人」と言われるような男性も多いです。決してモンスターではないのです。

私はこうした離婚事案のあり方に、日本社会がいま抱えている問題がいくつも象徴的に現れていると考えています。結婚や離婚はとても個人的なイベントではありますが、同時に極めて社会的な行為でもあります。社会というマクロの単位で起きていることと、家庭というミクロの単位で起きていることが相似形を成しているのです。社会の構造に歪みがあれば、家庭にもそれが現れます。“特異なモンスター”だけの問題と考えると、そこが見えなくなります。

いつのまにかすり込まれる「価値観」

私たちは物心ついたときから、社会のなかに組み込まれた存在です。子育てをしていると、そう感じることが多いです。親が「こんなふうに育てたい」と思っていても、子どもには子どもの気質がありますし、社会から――つまりたとえば周囲の大人から学校から友だちからそしてメディアから、さまざまな影響を受けます。

子どもにはジェンダーバイアス――女性はこう、男性はこうと性別についての固定的な価値観を持ってほしくないと注意しながら育てていても、幼稚園や保育園に通うようになるとどこかでその価値観に触れ、「男の子は泣かない!」「ピンクは女の子の色」と言い始める、という話はよく聞きます。

DVやモラハラをする夫たちに共通して見られる価値観も、そのように社会からインプットされたものだと考えられます。なぜなら、離婚事案の現場で目の当たりにする彼らの言動は、驚くほど似通っているからです。