※本稿は、村瀬幸浩ら『50歳からの性教育』(河出新書)の一部を再編集したものです。
日本の性教育はあまりに足りていなかった
【村瀬】50歳からの性を考えるうえで、私はぜひ田嶋さんとお話ししてみたかったんです。
【田嶋】ありがとうございます。村瀬さんはもう40年以上、性教育に携わってこられたんですよね。私は日本の性教育ってその問題点を考える以前に、ほぼ「なかった」と思っているんですけど、村瀬さんのお考えは?
【村瀬】それはまったく正しい認識ですよ。日本の性教育は、ここ3、4年でようやく、学校だけでなくメディアでも政治でもその必要性が叫ばれるようになってきましたが、それまではあまりに足りなかったと断言できます。2000年代はじめにはジェンダーバックラッシュといって、性教育を「過激だ」「行き過ぎている」と糾弾する動きもありました。
いまの50歳前後の方はその前夜とでも言うべき時期に、中高生時代を過ごしたことになりますね。
【田嶋】私は性教育を、人間教育だととらえています。人生教育と言ってもいいですね。それなのに、日本ではいまもって「性のことを子どもに教えたら、みんながセックスをするようになる!」とかバカげたことを言う政治家たちもいるんですよね。
セックスの話を真剣に聞く男子校の生徒たち
【村瀬】寝た子を起こすな、とよく言われました。性教育でセックスについて学ぶ――これ自体は間違いではないんですが、私は性行為を含む人間関係全般について、そして自分自身について学ぶ時間だと考え、取り組んできたんですよ。
「性」だけでなく「生」について何を知り、どう考えるかということが抜け落ちた状態で、セックスの方法だけを知るものではない! という話を、いまでも高校生や大学生にします。なかには男子校もありますよ。真剣に聞いてくれているなぁ、と手応えを感じることが多いですね。
【田嶋】それは真剣でしょう、いままでそんなこと話してくれる人はほとんどいなかったですから。目から鱗よね、きっと。性教育は人生すべての根幹にあるもの、それをないがしろにするわ、子どもを知らないままにしておくわ、というのは、国が根幹から歪んでいるからじゃないかと私は考えていますよ。