トップアスリートがバラエティー番組で語るエピソードに違和感を持ったことはないだろうか。神戸親和大学の平尾剛教授は「ブラックな指導を笑い話にするような語りは、暴力的な指導や理不尽な上下関係を許容する空気を醸成してしまう。スポーツの魅力を伝えるテレビ番組が、スポーツへの嫌悪を煽っているのではないか」という――。
スタジオでバラエティー番組の撮影中
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トップアスリートが「常人離れ」に心酔するワケ

トップアスリートにまつわるエピソードは実にバラエティー豊かである。

私が現役のラグビー選手だった20年ほど前なら、ステーキ1キロを平らげたあとにラーメンを食べに行ったとか、チームの打ち上げで店のビールをすべて飲み干したとか、大食漢や大酒飲みの例は枚挙にいとまがなかった。

焼肉屋で、いまは食べられなくなった生レバーをまるでふぐのてっさのように数枚一緒にすくい上げて何皿も食べる人もいたし、生ビールの中ジョッキを2口ほどで飲み干すザルもいた。私よりひと回りほど年上のとある先輩からは、試合前に缶ビールを1本飲んだ方がよいパフォーマンスができるからと、隠れてこっそり飲んでいたと聞いた。

飲み食べに関する仰天エピソードは、ラグビーや相撲をはじめ減量の必要がないコンタクトスポーツならではだろう。スポーツ栄養学に基づくコンディション作りが主流のいまでは、にわかに信じられない人も多いだろうが、かつて飲み食べの豪快さはラグビー選手のイメージそのものだった。

現役時代の私はそこまでの豪快な食欲はなかったので、そんなチームメートの姿が眩しく映った。いまとなれば「らしくあらねば」という幻想に囚われていただけだとも思えるが、グラウンド内だけでなくその外でも突出したいという潜在的な願望は確実にあった。

この願望は、おそらく私だけではなく、「常人離れ」に無意識的に憧れを抱く傾向がトップアスリートにはあるように思う。どんな勝負でも勝つことを欲するがゆえに、何につけても秀でようとし、たとえそれが「単なる違い」であっても優れているとみなそうとする。負けず嫌いが高じて「単なる違い」ですら優越感へと結びつける心的傾向が、トップアスリートにはある。

「ジャンクSPORTS」のトークに感じる違和感

この心的傾向が、いささか暴走している。「暴走」というより利用されているといってもいい。

象徴的なのが、人気スポーツバラエティー番組「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系、毎週土曜日17:00~17:30)である。試合の緊張感から解き放たれたトップアスリートや引退した選手の素顔に迫ることで、スポーツそのものの魅力を伝えようとするこの番組は、スポーツファンならおなじみだろう。

憧れのアスリートの人間性を垣間見たり、赤裸々な語りからその舞台裏をうかがい知れるという楽しみがあり、私も久しく視聴してきた。現役時代には「もっと実績を上げて有名になれば出演できるかもしれない」と、淡い期待を抱いていたことが懐かしく思い出される。

だが、ここにきて眉をひそめることが多くなった。特集の組み方とそれに応じたトップアスリートの語りに強い違和感を覚えるようになったからだ。