派手に遊んだ大学時代
大学の同じクラスには、女性が20人ほどいた。入学から卒業までにそのうちの4人と付き合い、さらに他の学科・学部や、先輩、後輩とも交際した。
「当時の私は、『世の中の女性の最低5人に1人はモノにできる』と自信を深めていました。自慢話のようですが、私がこれまで付き合った女性は、全員向こうからアプローチしてきたので、私はその中から好みの女性を選ぶだけ。『俺が付き合ってくれと言ったわけじゃない』『嫌なら別の子と遊ぶよ』『俺が○○と付き合ってるのは知ってただろ?』『モテない男が好きなの?』……全部本当に女性に言った言葉です」
女性に不自由しなかった狩野さんは、デート代はもっぱら女性持ち。代わりに車とギャンブルに金を注いだ。地元国立大に現役合格し、自宅から通っていた狩野さんは、親が新車を買ってくれていたのだ。車にかけるのは維持費と改造費。ギャンブルで一番ハマったのは麻雀だった。
「もちろん、『デート代を払ってくれ』と言ったことはありません。誘われても、「今金がない」と言えば、向こうが払ってくれていたんです。当然、私が誘った時は私が払っていました」
最近でこそ、交際する男女でも割り勘が増えているが、当時はまだ、「男性が女性に金を出させるなんて!」という風潮があった。にもかかわらず、女性から引く手あまただったという狩野さんの異常なモテぶりがうかがえる。
「当時はDCブランドブームなんてものもありまして、アルバイトで稼いだ金で、ずいぶん服を買いました。地方都市の大学で、周りはあか抜けない野郎ばかりだったので、ファッション誌に出てくるようなカッコをしていた私は目立ったようです」
大学4年のときの彼女が某ファッション誌に狩野さんを推薦し、掲載されたこともあったという。