迷走する芥川賞と「教養」のおわり

1985年、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で、春樹は谷崎賞をあたえられました。谷崎賞にえらばれた作家は、「新人」とはみなされなくなり、芥川賞の選考対象からはずされることは、前々回にもお話したとおりです。

谷崎賞は、デビューして15年はたった作家がうけるはずの賞です。キャリア6年の春樹がこの賞にえらばれたのは、前々回にお話ししたように、あきらかに異例でした。ともあれ春樹はあっというまに、「芥川賞の対象となる新人作家」を卒業したわけです。

80年代に頭角をあらわした作家のなかで、

「芥川賞をとって当然だったのに、とりそこねた人」

は、春樹ひとりではありません。島田雅彦、山田詠美、吉本ばななといった当時の人気作家が、そろって芥川賞をのがしています。この時代の芥川賞候補作を見ると、受賞作家のラインナップより、「落選した大物」の顔ぶれのほうが、どうかんがえてもゴージャスです。

「とるべき人ほど、とれないこと」にくわえ、「該当者なし」の回が異常に多いのも、80年代芥川賞の特徴です。芥川賞は年2回、受賞作がえらばれるので、80年代をつうじて20回、選考委員会がひらかれています。このうち9回が「該当者なし」になっています。ほぼ2回に1回は、だれにも賞をださなかったわけです。

1970年に前後に、政治的闘争の時代がおわり、消費文化が台頭したことは、この連載でくりかえしのべました。それは同時に、「教養=エスタブリッシュメントが身につけておくべき文化」の終焉でもありました。

「教養」が、社会的成功者の証明になっているという感覚は、明治のころから日本人のあいだに共有されていました。その感覚が、社会層消費文化の時代がおとずれとともにうしなわれます。それからは、ブランドものの衣服や高価なクルマだけが、「成功」のシンボルとなる時代がつづきました。

80年代にはいると、こうした状況が世のなか全体にひろまります。無理をしてアルマーニを着る人間はいても、好きでもない純文学をがまんして読むことは、だれもしなくなりました。

そういう時代に、ひろく読まれる純文学小説を書くには、

○消費文化にむかった人びとの関心をつかむ。
○「おたく=教養をほこることもできないが、消費文化のながれにも乗れないタイプ」を引きつける。

このどちらかをみたさなくてはなりませんでした。ようするに、「パンク私小説」にも「本格小説」にも欠けている要素を、作品にもりこむ必要があったのです。

島田雅彦は、エイズなどの時事ネタをとりこみつつ、「ブランド品のように消費できるスマートな文学」をめざしました。山田詠美は、伝統的な恋愛小説や家庭小説を、消費文化の風俗のなかによみがえらせました。漫画家の姉をもつ吉本ばななは、「字で読む少女マンガを書く」といわれました。初期の春樹が、「消費文化に適合したカッコいい小説」の書き手だと「誤解」されていたことは、この連載の第2回目にお話ししたとおりです。

話題の新進は、「私小説」にも「本格小説」にも分類不能、「むかしながらの基準」でマッピングできる若手は、一般読者にうけいれられない――こんな苦境ゆえに、80年代の芥川賞は「該当者なし」をくりかえし、人気作家に栄誉をさずける機会をのがしていたのです。

90年代以降の芥川賞は、80年代の「迷走」への反省からか、めぼしい作家には確実にあたえられています。ただし、「新人」とはいいがいたい大物が、おそすぎる顕彰をうける例も目につきます。芥川賞をとらせることで、あたらしい書き手をうかびあがらせることより、人気作家に受賞してもらい、芥川賞の権威を維持することをおもんじている――そんな気がして、さびしくなることもしばしばです。