春樹は「マッピング不能」だった
「私小説」派の作家がしていることは、パンク・ミュージシャンを連想させます。
パンクのライヴでは、演奏者がニワトリの首を切ってみせたり、自分のからだにナイフをつきたてたり、といったことがおこなわれます。そうすることで、パンク・ミュージシャンたちは、「過激さ」や「真剣さ」をアピールしているわけです。けれども彼らは、「過激さ」や「真剣さ」以外に他者にうったえかける要素――演奏テクニックとか、音楽上のオリジナリティとか――を、しばしば欠いています。
村上龍の『限りなく……』の主人公は、作者その人を思わせるリュウという青年です。このリュウが、ドラッグをやっておかしくなったり、乱交パーティをしたりするさまが、『限りなく……』にはえがかれています。
つまり、『限りなく……』は、作者の「やばい体験」を告白した小説、として読むことができるのです。龍がこの作品で、
「プロ作家の資質あり」
とみとめられたのは、「パンク私小説作家」の系譜につらなる書き手だとみなされたからでした。
いっぽう、春樹のデビュー作である『風の歌を聴け』は、架空のSF作家であるデレク・ハートフィールドについて語るところからはじまります。みじかい断片をつみかさねていく構成は、実在するSF作家・カート・ヴォネガットJr.の影響です。
海外小説にならって書かれているのだから、『風の歌を聴け』は、「パンク私小説」とはいえません(主人公の「僕」が、法や道徳にそむくことをするわけでもありません)。かといって、「本格小説」の典型的なかたちからもおおきくはずれています。春樹がデビューした当時、「本格小説」のモデルになると想定されていたのは、あくまでほかの国の芸術小説でした。にもかかわらず『風の歌を聴け』は、SF作品をお手本にしています。
春樹は、「私小説」派にも「本格小説」派にも分類できない、「マッピング不能」な作家だったのです。おそらくそのせいで、芥川賞の選考委員は、春樹の「書きつづける資質」をうたがったのでした。