NHKの役割は「あまねく全国で受信できる」

2つ目の「スクランブルをかければNHKの存在意義が失われる」の話に移ろう。

ポピュリストは、放送法を理解できていないので、NHKにとって「スクランブルをかけろ」より「無料にせよ」のほうが難しいと勝手に思い込んでいる。実際には「スクランブルをかけろ」のほうが難しい。

放送法上は、受信料をタダにしてもNHKの存在意義にはかかわらないが、スクランブルをかけることは、大いにかかわるのだ。というのも現在の放送法はNHKの目的を次のように規定しているからだ。

第十五条 協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送(国内放送である基幹放送をいう。以下同じ。)を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。

要するに、「あまねく全国において受信できる」のがNHKの存在意義なのだ。1949年の閣議決定された放送法では、もっとシンプルにこう規定されていた。

第7条 日本放送協会は、公共の福祉のために、あまねく全国において受信できるように放送を行うことを目的とする。
全国ネットワークのイメージ
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです

「スクランブル化=存在意義の否定」に

実際、これまでNHKは、離島や山間地まで電波のリレー網を整備し、難視聴地域をなくすために受信料を原資として莫大ばくだいな投資を使ってきた。これは受信料を徴収しない民放には課されなかった使命だ。

民放は東京にあるキー局が、経営上独立の系列局に放送コンテンツを送ってネットワーク放送している。系列局は全県にあるわけではなく、全国放送しているわけではない。そして、「あまねく全国において受信できる」ことを義務付けられてはいない。

放送法上は、そして最高裁の受信料判決でも、広告の有無とともに、これがNHKと民放の根本的違いとされている。

そうである以上、受信料で作った放送インフラを所有しながらも、NHKが「公共の電波」にスクランブルをかけて、地域住民が受信できないようにすることは、存在意義を自ら否定することになる。