民放と同じく、NHKは料金を取ってはならない
このような背景から、GHQはNHKだけに受信料を徴収する特権を与えることに終始反対した。彼らから見ればNHKも民放も「公共の電波」を使い「公共の利益」に資する放送を義務付けられているので「公共放送」なのだ。そして、「公共の電波」を使わせてもらっている以上、民放だけでなく、NHKも料金を取ってはならないのだ。
維持費が必要なら、寄付を募り、足りない分は地方自治体からの交付金でまかなえばいいとGHQはいった。アメリカでは教育・宗教系の放送局にこのような経営方式をとるものが多い。しかし、いろいろなやり取りがあったあと、当座の便法として、放送法によって受信契約を義務付けるが、受信料の支払いはNHKの「受信契約規定」で義務付けるという、現在の矛盾した形に落ち着いた。
そのかわりGHQは、NHKにテレビの参入を禁じ、日本テレビなど民放だけに許す方針を決めた。こうすれば、テレビの時代になればNHKは衰退し、受信料は下がり、問題ではなくなると思ったのだ(だが、1952年に占領が終わると、当時の吉田茂総理大臣は、GHQのこの方針を覆し、NHKにもテレビ放送を許した)。
世界の公共放送で進む「受信料離れ」
ちなみにGHQと同じ考えは、イタリア、フランス、中国、韓国、などにも見られる。これらの国々では公共放送であっても広告を流している。ニュージーランドは受信料を廃止して、公共放送を民営化した。オーストラリアは公共放送の受信料を廃止し、国からの交付金で存続させている。イギリスも近い将来BBCの許可料を無料化するだろう。
公共放送は、広告を流してはいけない、すべて受信料で運営をまかなうべきだ、というNHKの主張は、かつても今も世界の常識ではない。
したがって、「NHKはスクランブルをかけろ」という主張は正しくない。GHQがそうしようとしたようにストレートに「受信料は無料にせよ」というべきだ。