日本三大名城のひとつ、姫路城は現在も築城当時の姿を残している。誰が、なぜこの美しい城を作ったのか。小説家の安部龍太郎さんの著書『徳川家康の大坂城包囲網』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。
冬の富士山を連想させる白亜の美しい城
数ある城の中でも、姫路城の美しさは際立っている。
あの均整のとれた姿といい規模の大きさといい、400年も前によくぞこれだけのものを作ったものだと、ただ息を吞むばかりである。
白一色にぬられた外壁のせいか、この城の前に立つと雪をいただいた富士山を思い出す。
伊豆半島に住んでいた頃、カラリと晴れた冬の朝には車を飛ばして十国峠に出かけたものだ。峠の真っ正面に白くそびえる富士山は、なだらかな曲線を裾野までのばした優雅で気品にみちた姿をしていて、見飽きることがなかった。
姫路城をながめていると、それとよく似た感動と立ち去りがたさを覚えるのである。
築城当時の姿を残し、日本初の世界遺産に
この城は名古屋城、熊本城とならんで日本三大名城にかぞえられているが、他の二城と大きくちがうのは築城当時の姿を残していることである。
熊本城は明治10年(1877)の西南戦争で、名古屋城は昭和20年(1945)の空襲によって焼失したが、姫路城ばかりはこうした災禍にあうこともなく今日まで命脈をたもってきた。
その価値は何物にも代えがたいほどで、1993年には日本で初めて世界遺産に登録され、将来にわたって保存する努力がつづけられている。
この城をおとずれた外国人の多くは、「戦争のための要塞が、なぜこれほど美しいのか」と驚嘆するという。
日本人は刀や鎧などの武具にも独特の精神性をこめ、さまざまな意匠をこらして美しく作り上げてきた。姫路城もこうした伝統をふまえてきずかれたものだが、外国人にはその心持ちがいまひとつよく分らないらしい。