社員の気を変えるために最初にやったこと
スーパードライが出る以前、アサヒビールは「夕日ビール」と呼ばれていた。いつ倒産してもおかしくないといった状況だった。
1986年、住友銀行の副頭取だった樋口さんが社長になった。彼は残っていた在庫をすべて廃棄し、新鮮なビールを売り出した。そして、翌87年にスーパードライを出し、大ヒットさせた。
ヒットさせた後、彼が最初にやったことは雇用を守ると宣言したことだった。
樋口さんは教えてくれた。
「アサヒビールは業績が悪かった時、肩叩きと称して500人ほどの方に辞めていただいたことがある。クビですよ。僕は業績がよくなってきた時、そういう人たちにもう一度戻ってきてくださいとお願いしたわけです。
ただし、転職した会社で頑張っている方もいれば、お年になって定年退職された方もいる。そういう方々の場合は直系の三親等までなら優先的に入社してもらうことにしました。そんなことで社内の気分や流れは変わるんです。
『ああ、うちの会社は人を大切にするんだな』という気持ちが社員の気を変えてゆくんです」(『プレジデント』1994年12月号)
もうひとり、雇用を守ることをポリシーとした経営者がいる。
「終身雇用を前提に大事に処遇すべき」
先日、亡くなったが、信越化学を国内で最大の時価総額、最高の営業利益に育てた金川千尋さんもまた「雇用を守る」ことが経営者として大切なテーマと言っていた。
ちなみに信越化学と聞くと新潟あたりの地方メーカーと思いがちだけれど、塩化ビニル樹脂、シリコンウエハーなど5つの世界シェア1位の製品を持っている。
わたしが会った時、金川さんはこう言っていた。
「安易に大量採用して、『やらせる仕事がないから解雇する』というのは、まったく無責任でおかしな話です。必要な人しか採用せず、そして、いったん採用したら終身雇用を前提に大事に処遇すべきでしょう。
私は一度も業績を理由に社員を解雇したことはありません。社員を採用した側として、社員とその家族の生活を守り、社員が定年まで勤められる会社であり続けることは経営者の責務です。その責任の重さを知っていれば、安易に大量採用などできません」(月刊誌『理念と経営』2018年)
樋口さん、金川さんは雇用を守ることがポリシーだった。一方で、大量採用をしたわけではなかった。特に、金川さんは、ぎりぎりの人数しか採らなかった。金川さんは社長に就任した1990年、それまで600人を採用していたのをほぼゼロにした。定期採用の人数を減らして、少数精鋭の体制にした。切り詰めるところは切り詰めて、その代わり、徹底的に雇用を守った。