「諦め」によって、本当に大切なものが明らかになる

そして、絶望から立ち直るということは、それまで抱いていた自分の願望を手放すことができたということ、「諦め」を受け入れられたということです。

これは決して、悪いことではありません。

仏教では、煩悩的なことは全部諦めたほうがいいと説かれています。食欲、性欲、権力欲、金銭欲。そういった欲望を手放していく、つまりは諦めていくことができて「覚り」に近づけるのです。

「諦め」には「ギブアップ」という意味がありますが、仏教では「明らかする」という意味でも使われます。

自分にとって本当に必要なものであるか否かを明らかにしていく。設定した目標の実現性や、自分の心技体の適性を見極めていく。この行為が「諦め」とイコールで結ばれるんですよね。

本当に必要なものだったら、どんなことがあっても諦められません。諦めることができたということは、それが本当に必要なものではなかったということ。

自分に適した別のなにかがある。
絶望のあとには希望しかない。

これに気づくことができたのだ、と考えるようにしましょう。

受験・就活で失敗した人が苦しみ続ける理由

このスタンスは、人生のいかなる場面においても通用しますし、効果を発揮します。進学や就職における絶望はその典型例です。

進学校に通っていて、偏差値も申し分なく、模擬試験ではつねに志望校に対して合格率80%以上のA判定。このような人が受験に失敗すると、もれなく絶望してしまいます。

マークシート
写真=iStock.com/ceazars
※写真はイメージです

諦めきれずに同じ志望校を目指して浪人するのは構いません。でも、次の年も、その次の年も失敗して、2浪、3浪とくり返していくのはいかがなものか……。その大学はこの人にとって、本当に必要なものではなかった、ということではないでしょうか。

滑り止めで受かった大学に、妥協して入ったケースも然り。こういうケースではたいてい諦めを受け入れられず、4年間悶々とし続けたりします。

「こんなはずじゃなかった」
「ここは自分のいるべき場所ではない」

そうやって現実を直視せず、同級生を見下しながら学生生活を送るのです。