ジャック・マーの失踪は悪夢の始まりだった

「さすがはジャック・マーだ。自らの帰国をカードに、中国政府から好条件を引き出す取引に成功したのだろう」

中国のあるVC投資家は、匿名を条件に、筆者にこんな評価を打ち明けている。なぜ「取引に成功した」といえるのだろうか。読み解きのカギは、中国政府がジャック・マーの帰国を必要としていた、という事実だ。

写真=学校のSNSより
浙江省の学校を訪れた馬雲(ジャック・マー)氏。中国国内での姿が確認されたのは2020年末以来となる。

そもそもジャック・マーの失踪は中国IT業界にとっての悪夢の始まりだった。

当初、中国共産党が事実上、ジャック・マーの引退を求めたのは、アリババが一企業の域を超えたコングロマリット化したことが原因だと考えられていた。ところが2021年に入って、こうした理解が間違っていたことがわかった。アリババ以外のIT企業についても独禁法違反などでの調査が始まったのだ。

独占禁止法違反、学習塾規制、サイバーセキュリティー審査、オンラインゲーム規制といった動きが矢継ぎ早に導入されていった。さらには共同富裕の提唱もあり、儲けすぎのIT企業はまるでパブリックエネミーであるかのように肩身の狭い思いをすることとなった。

規制の嵐にIT企業の時価総額はガタ落ち

無制限に広がる規制の嵐に資本市場も敏感に反応した。

現在、アリババの株価はピークだった2020年10月から約70%のマイナスとなっている。また同じIT大手であるテンセントも40%の下落。「TikTok(ティックトック)」を運営する非上場企業のバイトダンスも、評価額がガタ落ちしているといわれている。

広東省深圳市にあるテンセント・ホールディングスの本社
写真=iStock.com/Nikada
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さらに新しい企業も出てこなくなった。2010年代に中国ITが目覚ましい成長を遂げ、携帯電話で買い物ができるモバイル決済や、TikTokに代表されるスマホ動画など、世界で模倣されるイノベーションを作り出してきた。

この原動力となったのは、政府の規制をかいくぐって新たなビジネスを生み出してやろうという野蛮な冒険精神だった。ところが、少しでも目立てばとんでもなく厳しい制裁を加えられかねないとの不安が中国ビジネス界を覆っている。革新的なサービスを生み出しづらい雰囲気が生まれているのだ。