「だらだらが足りない!」と怒っている

【内田】サコ先生のご本は、大変おもしろかったです。ときどき「なんやねん」と怒り出すでしょう。あんなふうに「なんで日本人はもっとリラックスしないんだ、もっとだらだらしないんだ!」と怒っている人、初めて見ましたよ。「だらだらするな!」と怒る人はいても、「だらだらが足りない!」と怒っているのですから。でも、本当にそうだよな、と思いました。

学校の勉強で子どもたちは楽しむわけでもないし、ラディカルにものを考えるわけでもないし、複眼的になるわけでもない。ただみんなが同じフィールドに並んでテストを受け、点数化、格付けされるがままになっている。それと同じことが映画やコスプレなどの小さなサブカルチャー分野においても起きている。ただ楽しむのではなく、知識や技術を身につけ他人と競争し、上位者が下位者に対して威張るんですね。

サッカーのワールドカップが日本で行われた時だったか、「にわか」という言葉が出てきましたよね。それまでサッカーに興味のなかった人が、突然テレビでサッカーに夢中になって、あの選手がどうだとか言い出す。そういう人々を古参のファンは、最近ファンになったばかりの奴という小バカにしたニュアンスで「にわか」と呼ぶわけです。そして、「お前らにはサッカーを語る権利はない」と。古参のファンはニューカマーに対して意地が悪いんです。

緊張していて、怯えていて、キョロキョロしている

これはおかしいと思う。新しいファンが入ってきたんですから。「私たちの楽しい世界にようこそ。一緒に盛り上がろう」と歓迎し、「こうやって見るともっと楽しめるよ」と見方を教えてあげればいいのに、「こっちは20年も前から応援しているんだ。昨日今日見始めた人間がサッカーを語るな」と押さえ込みにかかる。

そういう言い方がまるで批評性のある言葉のように、社会のあらゆる分野で口にされる。この分野に昨日今日参入した人間は何も言わずに、おとなしくしていろ、と。そんな禁圧が職場や学校だけでなく趣味の世界にまで蔓延している。

だからサコ先生の「君たちはいつ楽しむんだ、いつだらだらするんだ!」という視点は眼から鱗でした。あの人たちって、息苦しいな、気持ち悪いなとは思っていたけれど、この気持ち悪さは不自然さから来ているんだと教えてもらった。だとしたら、日本社会はすでにかなりおかしくなっている。だからサコ先生の本を読んで以来、ことあるごとに「とりあえずみんなもうちょっと、だらっとしない?」と伝えているんです。

日本人は過緊張ですよね。緊張していて、おびえていて、キョロキョロしている。常に格付けや査定に備えて、低いスコアをつけられて排除されるリスクに怯えている。これは中高生から大人に至るまで全世代に当てはまります。

サコ先生の「君らは何をやっているんだ?」という一喝は本当にラディカルな言葉だと思います。一喝するだけでいいと思うんですよ。「君らの見ている世界は狭すぎる、世界はもっともっと広いんだ」と教えてあげるだけで、日本の若者はずいぶん救われるのではないかと思うんです。