豊かな表情や多様な視点を捨てている

知人の大学の先生から聞いた話なのですが、冬に1限の授業に行ったら教室が真っ暗だった。誰もいないのかと思えば、学生はちゃんといた。部屋の電灯を点けて、「スイッチはここですよ」と教えた。翌週教室に行くとまた真っ暗な部屋に学生が黙って待っていた。誰も電灯を点けないんです。目立ちたくないから。

電気のスイッチを押す人の手
写真=iStock.com/duaneellison
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一人立ち上がってスイッチを点けるのが嫌なんです。他の学生が暗い教室で黙っているのに、自分一人が余計なことをして、環境を変化させると、「浮いて」しまう。それを避けようという無意識の抑制がかかっている。

日本の子どもたちは今、学校教育の中で、マジョリティの中に紛れ込み、「みんなと同じ表情」をすることで、身の安全を図ろうとしている。そうやって、豊かな表情や多様な視点を捨てている。そのことに僕は危機感を覚えました。

【サコ】早くも詳しくお聞きしたいトピックがたくさん出てきました、稲賀先生はいかがでしょうか。

地域研究の観点から学部や教室の枠を外す試み

【稲賀】冒頭から内田先生が本領を発揮され、すでに反応したいことがたくさんありますが、まずはごくかいつまんで自己紹介を。

私は30年ほど前、バブル末期の頃に三重大学人文学部で教えていました。「人文」を看板に掲げて船出したばかりの学部で、地域研究の観点から学部や教室の枠を外すというおもしろい試みを行っていました。地域研究、人類学、文学、美術の人が一緒にやろうという理念だったのです。

私はフランスが専門でしたが、「ヨーロッパ・地中海コース」という括りでイギリスやドイツ、イタリアを扱い、マグレブからサハラ以南にも目配りしながら、イタリア語も教えていました。「アジア・オセアニアコース」では、中国だけでなく華僑圏について研究・教育をしている専門家、アメリカなら北米・中米・南米の専門家がいる。

非常に「学際的」な学部で、できた時はうれしかったのですが、しばらく経って設立時の教員たちが引退すると、やはり英語の先生たちは英文でかたまり、地中海は専門家がいないので、私が退官した後しばらくすると、看板を降ろそうという状況になってしまった。その前の在任中は「大綱化」の改革期でしたので、大学内の改革にも少し携わりました。