感染症のパンデミックは人類の歴史にどのような影響を与えてきたのか。駿台予備学校世界史科講師の茂木誠さんは「14世紀のヨーロッパでは、ペストの大流行で人口の3分の1が亡くなった。パンデミックの恐怖によって人々の価値観が変わり、のちの宗教改革や科学革命につながった」という――。

※本稿は、茂木誠『世界と日本がつながる 感染症の文明史 人類は何を学んだのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

マスクを着用したライオン像
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ヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやった

明けて1348年――『デカメロン』の舞台となったこの年――ペストはイタリア全土、フランス全土、イギリスからハンガリーまでを席巻し、数百万の人々をたおしていきました。当時、イギリスは百年戦争でフランスに侵攻中でしたが、撤収を余儀なくされています。

その後、感染はドイツ諸国やスウェーデンにまで到達し、ヨーロッパの国々の人口の3分の1の人々を壮絶な苦しみを伴う死に追いやったのです。

敵国ジェノヴァの惨状を見たヴェネツィアやラグーザ(現・クロアチアの港町ドゥブロヴニク)は、船の入港を禁じ、港外にいかりを下ろして40日間待機させる、という検疫制度を採用しました。「40」を意味するイタリア語(ヴェネツィア方言)から、検疫のことを英語で「クワランティーン(quarantine)」といいます。

検疫によって船内に閉じ込められた人々には悲惨な運命が待っていましたが、被害を市街地全体に広げないための非常措置であったといえるでしょう。

ペストを鎮められないカトリック教会は権威が失墜した

黒死病の恐怖は、中世ヨーロッパの人々の精神をも一変させました。

第一に、教皇を頂点とするカトリック教会の権威失墜を加速させました。厳かな教会建築も、壮麗なミサの儀式も、高潔な司教の説教も、ペストを鎮めることができなかったからです。それどころか、信徒の葬儀の場に駆けつける聖職者たちへと感染が次々に広がっていきました。

このとき目を引いたのが、「鞭打ち苦行団」と呼ばれる人々でした。

彼らは黒死病を「不信心者を罰する神の鞭」と考え、自らの身に鞭を振り下ろすことで、神の鞭を免れようとしたのです。半裸に裸足、帽子を被った姿で隊列を組み、結び目に鉄を仕込んだ革の鞭で背中を打ち、血を流しながら行進する異様な姿が、ヨーロッパ各地に現れました。

しかし、自分を鞭打つだけならまだしも、他者に黒死病の責任を押しつけるという蛮行も行なわれました。その犠牲となったのがユダヤ人でした。ユダヤ教徒の共同体を維持し、キリスト教徒には許されなかった金融業を営む彼らは、ことあるごとに迫害の標的にされました。