人類は感染症のパンデミックをどのように乗り越えてきたのか。駿台予備学校世界史科講師の茂木誠さんは「天然痘は古代から人類を苦しめてきた感染症だ。18世紀のイギリスで医師のジェンナーが種痘法を確立したことで、人類は天然痘を克服することができた」という――。

※本稿は、茂木誠『世界と日本がつながる 感染症の文明史 人類は何を学んだのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

エドワード・ジェンナー(1749~1823)、英国医学者
写真=Roger-Viollet via AFP/時事通信フォト
エドワード・ジェンナー(1749~1823)、英国医学者

人類最初の「予防接種」はアジアから始まった

天然痘は、ユーラシア大陸でも周期的に小規模な流行を繰り返していました。

天然痘ウイルスが発見される以前にも、患者の皮膚に生じるかさぶたや膿から伝染すること、また、一度感染して回復した者に免疫ができることも、経験則的にわかっていました。そこで、微量の感染によって免疫を確保しようとする人痘じんとうの接種が、アジア各国ではすでに実施されていたのです。

中国では、患者の膿を染み込ませた綿を鼻に詰める、あるいは乾燥させたかさぶたの粉末を鼻から吸い込むという方法がとられました。オスマン・トルコ帝国では、親指と人差し指のあいだに小さな傷をつけ、天然痘患者の膿を植えつけるという方法がとられました。

自然の状態で天然痘に罹患りかんした場合、死亡率は約30%で、これはペストに匹敵します。種痘を受けた場合も天然痘を発症しますが、その症状は軽微で、多くの場合は軽い発熱と発疹だけで回復しました。重症化する者もいましたが、死亡率は2〜3%でした。種痘の是非は、このリスクを受け入れるかどうかという問題だったのです。

スチュアート朝最後の君主、アン女王の悲劇

ヨーロッパでは、こうした人痘の接種は忌避されてきましたが、17世紀のイギリスでは王朝断絶の危機によって、それが注目されるようになりました。1694年、名誉革命で即位した女王メアリ2世(1662〜1694年)が子のないまま、天然痘で没しました。

夫であるウィリアム3世(1650〜1702年)は再婚せず、その8年後の1702年、乗馬中に馬がモグラの巣につまずいたために落馬したのが原因で死去します。結局、メアリ2世の妹アン(1665〜1714年)が、スチュアート朝最後の女王となりました。

イギリスには女王のときに栄えるというジンクスがありますが、アン女王もスペインとの戦争(スペイン継承戦争)を優勢に進め、またイングランドとスコットランドとの対等合併で生まれたグレートブリテン王国の初代君主となりました。

しかし、彼女の家庭生活は、悲劇的なものでした。夫との関係は良好で、彼女は17回も妊娠しました。さぞ子だくさんかと思いきや、死産が6回、流産が6回、生後数時間で死んだ乳児が2人。彼女は自己免疫疾患を患っており、胎盤から胎児への栄養補給が滞っていた可能性があるとされています。