新しい文学や学問が生まれる

文学では、ラテン語の読み書きができる人間が激減した結果、民衆の言葉――俗語の文学が生まれました。ボッカチオの『デカメロン』は、ラテン語ではなくフィレンツェ地方の俗語であるトスカーナ語(これがイタリア語の原型になる)で書かれ、登場人物は聖母マリアや聖人たちではなく、現実の人々でした。

イギリスでは、ジェフリー・チョーサー(1340ごろ〜1400年)が「英語版デカメロン」といわれる『カンタベリー物語』を書きました。

学問の世界では、理知的・学問的に聖書を解読しようとするトマス・アクィナス(1225ごろ〜1274年)に代表される哲学(スコラ学)の権威が揺らぎ、さまざまな異端とされた思想が生まれました。

ドイツのライン地方では、自我を消し去り、肉体的に「神との合一」をめざすマイスター・エックハルト(1260ごろ〜1328年ごろ)の神秘主義が流行しました。この思想は、19世紀にドイツ・ロマン主義というかたちで開花します。

大学閉鎖で雑務から解放されたニュートンは、重力理論を発見した

イギリスの神学者ウィリアム・オッカムは、キリスト教(信仰)と哲学(理性)とをはっきりと区別することを唱え、教皇と対立しました。オッカムは1349年ごろにペストで亡くなりますが、その思想は脈々と受け継がれ、17世紀にアイザック・ニュートン(1642〜1727年)らによる科学革命へとつながります。

アイザック・ニュートンの肖像
アイザック・ニュートンの肖像(1689年、トーマス・バーロウ)(写真=UIG/時事通信フォト)

ケンブリッジ大学で学費無料と引き換えに雑用をしながら物理学や数学を学んでいたニュートンは、才能を高く評価され、1664年から奨学金が支給されるようになりました。1665年、このあとに説明するロンドン大ペストで大学が閉鎖されたために故郷へ疎開中、雑務から解放されたことで思索が深まり、微積分法や重力理論を発見するに至りました。

「リンゴの実が落ちるのを見て、重力の存在に気づいた」という有名な逸話は、のちにニュートン自身が好んで語ったものです。

同じくイギリスのオックスフォード大学の神学者であるジョン・ウィクリフ(1330?〜1384年)は聖職者の堕落を非難し、ラテン語の聖書を英語に訳しました。その結果、庶民でも聖書の内容が理解できるようになり、説教をする者も現れました。これがロラード派です。