バカは人の資質ではない
本稿ではバカにどう対処するか考えましょう。
まず、みなさんにはあえて一点に注目していただきたいと思います。その一点とは、たとえどこをとっても不快な人間がいても、「バカであること」は「賢い人であること」と全く同様に、人の資質ではなく、いわば行動様式だということです。
いやいや、「バカ」という言葉にはふたつ意味があって、「バカなこと(行為がバカであること)」と、「バカな人(人の資質がバカであること)」の両方を指している、などと、ここで理屈をこねることはいったんやめておきましょう。
年季の入ったバカはいても、生まれつきのバカはいません。バカとは、もって生まれた性質ではないのです。したがって、「バカなことをすること」と、「バカであること」は、結局は全く同じことを意味する表現だということです。
人はバカなことをすればそのときはバカである。バカなことをしなければバカではない。これについてはみなさんも納得していただけることでしょう。
バカという問題の解決方法
さて、バカという問題に対して、一番よく提示される解決方法を、ここに書いてみます。次の①については、どうしてこの解決方法になることが多いかというと、バカは資質ではなく行為だからなのです。ちなみに、わたしはこの「どうして」の部分に関心があります。
〈バカという問題の解決方法〉
① 行為だけを別個に切り離して考えること。
② 次の❶と❷は無関係なものと考えること。
❶ あなたがどんな人間か(立派な人間)
❷ バカがあるべき姿(もうひとりの立派な人間。バカなことをしているときには、そうなれていない)
「バカがあるべき姿」と書きましたが、バカのせいで怒りが湧くと、すぐに「べき」という義務の話になると言ってよいでしょう。
バカのすることと、立派な人間がすべきふるまい方(少なくとも、あなたが思う「立派な人間」の概念に沿ったふるまい方)の間には断絶があります。
この「べき」という言い方はどうなのか。もう少し思いやりをもつにはどうしたらよいか。そうした議論は今は置いておき、まずは説教めいた態度について考えてみたいと思います。
行きつくところは説教
バカに対するあなたの反応はさまざまでしょう。ひたすらののしる。その場で長々と話しあう。非難の言葉をつぶやく。面倒なことになったので頭の中でいろいろ考える。実は、どれも行きつくところは同じです。
つまり、普通、人はバカと関わるといろいろ考えさせられますが、それは全て小言や説教になるのです。
「ダメじゃない、バカなの?」
「ほんと、バカみたいなことして」
「バカはやめなさい!」
こんなにシンプルで短い表現でも、いくつもの説教のパターンがありますね。