バカのせいで感情が高ぶる

このように、わたしたちは、形の上では道徳観に照らして人をバカだとみなしていますが、それと全く同時に、相手と感情面での関わりをもっています――つまり、感情が高ぶるのです。

感情の高ぶりには、いいものと悪いものがあり、この場合は悪いほうです。具体的には、イライラしすぎて、深く考えもせず反射的に、みんなが共に暮らす社会など諦めようと思うのです。

諦めたら、自分が救われるのか破滅するのか、それさえ、もはやどうでもよくなっています。とにかくバカが憎くて、まさに「バカ滅ぶべし」という気持ちでしょう。

こちらが冷静さを失うと、からくり仕掛けのようなものが作動しはじめ、バカの罠にかかってしまいます。罠にはいろいろなパターンがあるので、ひっかからないようにするために、わたしもいろいろなたとえを駆使しながら、この先何度も説明していきたいと思います。

これまでのわたしたちは、人々の生活を台無しにするバカを、いわば全員で輪になって取り囲み、自分たちより下に位置づけることで合意しているような状態でした。でもバカに嫌悪感をもちはじめると、今度はこちらの共感力がなくなってきます。

そうやって、悪循環が始まります。仕組みを簡単に説明します。

 あなたが相手のことをバカだと悟る(このバカを仮に《バカA》とする)。その思いはどんどん強くなる。

 ①に比例して、親切心がなくなる。

 ②に比例して、自分が思い描いている理想の人間像から遠ざかる。

 ③に比例して、敵対的な人間、つまりバカになる(その何よりの証拠に、この時点であなたは、バカAにとってのバカ、すなわち《バカB》です)。

それも無理はありません。だって、あなたはこのバカのすることの一つひとつに傷ついていて、もう顔も見たくないくらいでしょうし、自分の心のゆとりだって守る必要があるでしょう。それなのに、向こうはあなたをイライラさせ、嫌悪感を抱かせます。

でも、あなたがバカを受けつけない気持ちになればなるほど、向こうはあなたを罵倒してきます。するとあなたは、さらに受けつけない気持ちになり、軽蔑心を強めます。その軽蔑心は、蟻地獄の砂のようにあなたを深く引きずりこみます。

こちらを指さし、怒鳴りつけている男性
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです

確実に向こうが悪いのですから、嫌いになるなと言うのは無理な話です。でも、嫌えば嫌うほど、あなたは、バカの蟻地獄に落ちていきます。

バカと相対すると、建設的な方向に進むことがとても難しくなります。そうなってしまう経緯を蟻地獄にたとえてみました。

人の欠陥をあげつらうような態度は、たちまち、その欠陥の主を貶めるだけでなく、それを見ているほう(自称「目撃者」)の品位をも落とすことにつながります。

ちなみに、本書の「はじめに」で主体(外から観察する側)という哲学用語を出しましたが、逆に観察される側(この場合、欠陥の主)のことは客体と言います。

マクシム・ロヴェール(著)、 稲松三千野(訳)『フランス人哲学教授に学ぶ 知れば疲れないバカの上手なかわし方』(文響社
マクシム・ロヴェール(著)、稲松三千野(訳)『フランス人哲学教授に学ぶ 知れば疲れないバカの上手なかわし方』(文響社

つまり、人はバカに対して、ただの「目撃者」ではいられない仕組みになっているということです。確かに、バカを前にした人が中立の立場でいられる、とすると矛盾があります。

人は誰かをバカだと思った時点で、相手に敵対的評価を下しているわけですから、すでに、その人の敵なのです。

そして、中立性を失えば、自分も無傷では済みません。なぜなら、人をバカだとみなすこと自体が、今ここで相手に示せる愛情と親切心が減ることに直結するからです。

こうして見てくると、バカがすごく厄介なのは、問題を生むと同時に、その問題を解決するために必要なもの(人の愛情や親切心)を壊してしまうから、ということになりますね。

本稿のポイント
バカにモラルを求めてはいけない。あなたが誰にでも愛情深く親切にふるまえば、問題は解決する。
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