シャープは途上国への技術支援に積極的だった
この競合相手に利するような行為の裏には、創業者の時代から発展途上国企業への技術支援に熱心だったシャープの企業文化や、良好な日韓関係を背景に、韓国への経済支援を推奨した中曽根政権の方針もあった。80年代の日本は、アジアの最先進国として周辺国の発展を支援する責務を自覚していたのだ。
ただ、結果論にはなるが、このシャープの技術支援がサムスンの半導体事業の急成長を助けたのは否めない。
この頃、私の父はシャープで海外事業の責任者をしており、4ビットマイコンの売却を行う担当部門をサポートするよう命じられたそうだ。そんな父に、シャープは当時サムスンをどのように評価していたのか聞いたことがある。
「いや、サムスンがここまで強なるとは、当時は誰も想像できんかったよ」
年老いた父は、そう答えると苦笑いを浮かべた。シャープからすれば、ヨチヨチ歩きの子熊を助けたらモンスターに成長し、すべてを食い荒らされたようなものだ。今となっては自嘲ぎみに笑うしかなかったのだろう。当時のシャープに自社の半導体事業への慢心があったとは思えない。日本企業の中では後発で、慢心するほど強くはなかったはずだ。とはいえ、サムスンを見くびっていたのは否定できないだろう。
半導体の失敗から学んだ「ブラックボックス戦略」
時代は流れ、父が引退したのちにシャープは液晶事業で一世を風靡する。国内勢との競争に圧勝した同社にとって、残ったのはサムスンとの覇権争いだった。その死闘のさなか、社長の町田勝彦氏が打ち出したのがブラックボックス戦略だった。最先端の生産技術やノウハウがライバルに流出するのを防ぐため、徹底した秘密保持策を講じたのだ。
生産設備メーカーを通じて技術が流出するのを防ぐため、設備レイアウトの秘密保持や、設備改良のための委託業者の分散などを実行する。工場での情報管理も徹底し、工場見学さえ厳しく制限した。この徹底して最先端技術を守るシャープの姿勢を、マスコミも高く評価した。
同社が液晶において厳格な情報流出阻止に動いた背景には、先の半導体での苦い経験も影響していたのだろう。同じ轍を踏むまいと経営陣が考えるのは自然なことだ。この時には誰が見てもサムスンはモンスターにまで成長していたのだ。