かつて日本の電機製品は世界中で圧倒的なシェアを誇っていた。なぜ凋落したのか。元TDK米国子会社副社長の桂幹さんは「日本企業はユーザーのニーズより、メーカーの都合を優先していた。このため、例えばアップルがiPodで音楽プレーヤーの市場を一気に変えた時、日本企業はまったく対抗できなかった」という――。

※本稿は、桂幹『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

家電器具のセット
写真=iStock.com/Grassetto
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世界が認めた「Made in Japan」

日本の工業製品の形容詞と言えば、高品質、高性能だ。技術大国ニッポンの誇りとして、民間企業のみならず、広く日本社会に浸透しているこだわりだとも言える。「Made in Japan」はそのこだわりの代名詞だった。製品に「Made in Japan」と刻印されていれば、高品質、高性能だと世界中が認めてくれたのだ。

それだけではない。高度成長期の日本製品には、手頃な価格という強みもあった。高品質、高性能にもかかわらず、競合する欧米製品に比べ安価であることが大きな武器だった。ところが、手頃な価格を維持するのは簡単ではない。為替の影響も受けるし、人件費などのコストの上昇もある。いつまでも日本企業が低価格を武器にするのは難しかった。

「製造」ではなく「モノづくり」にこだわった結果

1990年代の終わりから、企業やマスメディアで「モノづくり」という言葉が流行り始める。「製造」がいつしか「モノづくり」に昇華したのだ。古語から生じたこの言葉には、ある種の神聖性が含まれていた。古来のたくみの技を受け継ぐ「モノづくり」こそが日本の製造業の強みであり、繁栄の源だ、との思いが込められていた。

デジタル化が広がる中、製造業には迷いがあったのだろう。アメリカ企業のように自前主義を捨て、水平分業を目指せば、製造現場で働く社員の大量解雇が避けられない。かといって汎用はんよう品の大量生産では、韓国や台湾の新興勢力にコストで負けてしまう。

技術大国ニッポンとしてのプライドを引きずりながらたどり着いた先は、高品質、高性能、それに高付加価値こそが日本の製造業の強みだ、とする結論だった。利幅の小さな汎用品を大量生産する「製造」ではなく、利幅の大きな付加価値製品を作る「モノづくり」こそが、日本企業に相応しいと考えたのだ。