「三高信仰」にハマった日本企業の末路

多くの人が、高付加価値、高品質、高性能な製品であれば、価格が多少高くてもユーザーに今まで通り受け入れてもらえると信じた。いわば“三高信仰”だ。「安くてよいものを作れば必ず売れる」というアナログ時代のドグマ(教条)が、「よいものを作れば必ず売れる」に変わっていた。

実際に三高信仰は日本企業の製品開発に大きな影響を及ぼし始める。各社が目指した高付加価値、高品質、高性能の実態はどうだったのか、一つひとつ見ていこう。

2000年代に多くの電機メーカーが高付加価値製品の開発を目論んだが、成功したと思われる例は少ない。ユーザーにとって本当に有益な付加価値を生み出すのは簡単ではないのだから、半ば当然の結果だった。

例えば、音響機器だ。記録メディアと同様に、携帯音楽プレイヤーやラジカセで圧倒的な力を誇っていた日本企業が、デジタル化とともに迷走を始め、やがて凋落を余儀なくされた製品カテゴリになる。

アップルのiPodに手も足も出なかった

2001年、アップルは簡単で合法的なダウンロードサービスiTunesと、「1000曲をポケットに」という触れ込みのiPodを世に出した。手軽に音楽を楽しむための新しい手段として、ソフトとハードをセットで提供したのだ。iPodの登場で音楽の録音と再生は一段と簡便になった。新たな簡易化を成し遂げた製品とサービスは、瞬く間に世界中で受け入れられていった。

MacBook上のiPodクラシック
写真=iStock.com/vdovichenkodenis
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この時代の日本の音響メーカーも、アップルと同様に付加価値を模索していたのは間違いない。ところが、ユーザーが本当に必要とする価値は見つけられず、実行したのは単なる多機能化だった。例えば当時の人気製品であったミニコンポでは、CDやMDのみならず、USB端子やSDカードスロットを搭載したモデルが現れる。

中には、ハードディスクを搭載し、小さなスクリーンにフォトアルバムを映し出すミニコンポまで現れた。音響製品にもかかわらずだ。高付加価値化によって他社製品との差別化を図りたい、という各社の悪戦苦闘は、ゴチャゴチャといろいろな機能を加えることに留まっていた。