話題の「賀陽家の2人兄弟」の系譜
というわけで、現実に話が進んでいるとは考えにくいことを前提にしつつ、賀陽家の2人についてもう少し詳しく紹介しておく。
11宮家はすべて、幕末に活躍した伏見宮邦家親王の子孫である。伏見宮家を継いだのが、第11王子の貞愛親王だったのは、母が正室だったからだ。その庶兄の筆頭は、山階宮家だが本家は消滅し、戦前に侯爵・伯爵になった系統が継続しているのみである。山階宮に次ぐのは久邇宮家で、これも三男の邦彦王が継いで兄の邦憲王は賀陽宮家を興した。
恒憲王の長男である邦寿氏に子がなく、弟の治憲氏が家督を継いだ。外交官でブラジル大使を務められ、そのあと、台湾との窓口である交流協会のトップをされている頃、私は通商産業省で台湾・中国問題の担当課長だったからよくお目にかかったが、たいへん立派で有能な方だった。
しかし、治憲氏にも子がなく、弟で第一勧銀に勤務されていた章憲氏の子息である正憲氏が家督を継いでいる。この正憲氏は陛下の同級生であり、息子が2人いて、それが話題の兄弟である。
出会いの機会を増やす中で「ご縁があれば」であるべき
ただ、少しひっかかるのは、賀陽氏が勤務していた宮内庁を辞めて外務省に転属した経緯である。正憲氏はメーカーや大手信託銀行への勤務を経て、宮内庁に転職。儀式、雅楽・洋楽、鴨場接待などを担当する式部職を務め、その後、外務省に出向した。デンマークの大使館に勤務したことはあるが、長く儀典関係の職員として地味に仕事をしてきた。
キャリア外交官でなくいわゆるノンキャリア扱いとはいえ、大使になることは可能だったがそういう気配も無く、そろそろ退官のはずである。
女性自身は、宮内庁を去った経緯について、侍従になることを期待されていたところ、同級生が侍従ではやりにくいと陛下が仰って避けたと書いているが、子細は不明である。ほかの報道でもさまざまな理由が臆測されているが、いずれも推測の域を出ない。
こうした経緯を考えると、賀陽家の息子が愛子さまのお相手となるには乗り越えるべき障壁があるのかもしれない。いずれにせよ、結婚については当事者のご意向が最優先されるものであるし、今回のような週刊誌の臆測記事が良縁の可能性を潰すようなことは決してあってはならないのだ。
私は賀陽兄弟なども含めて、愛子さまが社交生活を通じて、多くの男性と知り合う機会を持たれ、その中で適切なお相手を見つけられる機会が増えるようにすべきであると思う。
眞子さんのように、そういう機会が少ない中、同じ大学でたまたま知り合った相手と結婚されるのも考えものだが、ほとんど異性との交流もないまま、前近代的に、いきなり結婚相手が取り沙汰されるのも両極端でよろしくないだろう。