山本知寿(ビーチバレー日本代表男子監督)
ロンドン五輪前の男子代表決定戦(川崎)である。朝日健太郎、白鳥勝浩ペアが若手ペアを下し、五輪出場を決めた際、男子監督の山本知寿は難しい顔で腕を組んだままだった。
そりゃそうだ。どちらも山本が指導しているペアで、アジア大陸カップでは同じ日本チームとして戦った仲間だった。山本が漏らす。「どちらかに感情を移入することはなかった。ロンドン五輪を見据え、それぞれ、どう戦えばいいのかだけを考えながら見ていた」と。
実直な人である。福岡県出身。170センチという小柄な体ながらバレーボールで活躍し、名門富士フイルムに進んだ。「小さくてもやっていけたのは、自分で考え、工夫して、プレーしていたから」と振り返る。
ビーチバレーに転向後もビーチバレージャパンで3連覇を遂げるなど、日本のトップ選手となった。1997年から3年間、レベルアップを図るため、ビーチバレー本場の米国で武者修行に励んだ。
「米国のコーチからプレーの応用編を学びたかった。でも指導は基本ばかり。パスは目の前でこうしろ、サーブは足を前に出して打てとか、子どもの頃からやっていたような基本技術しか教えてくれなかった」
やはり何事も基本技ありき、なのだ。現役を引退後、指導者の道に入った。ビーチバレー日本代表女子監督として、2004年アテネ五輪に出場した。今度は男子。一貫して、基本技術のことしか言わない。
「結局、サッカーや他の競技も同じでしょう。基本技術がしっかりしているチームが強いんです。スパイクを打つ時、ジャンプしたら、ブロック、レシーバー、ボールの3つを見ながら打てとか、基本を徹底させます」
ビーチバレーはバレーボールと違い、遠征準備から移動まで、自分でやるしかない。自分で考えて行動しろ、と常々、言っている。ビーチバレーは戦略のウエイトが大きい競技である。とくに体のサイズが小さい日本にとって、2人のコンビネーションと戦略、技術で勝負するしかあるまい。
「考えろ」がモットー。自分で考えろ、と42歳は言い続ける。「プレーもふだんの生活も」。当然ながら、自分で考え、行動しないと、人は成長しないのである。