「権力のチェック」に欠かせないのが調査報道だ。独自調査の積み重ねで「権力側にとって不都合なニュース」も伝えるのを特徴とする。ここで威力を発揮するのがデータ分析などの専門性である。米コロンビア大学ジャーナリズムスクールのニコラス・レマン学長は「今どきのジャーナリストは回帰分析ぐらいできないと駄目だ」と公言している。

福島原発報道では、ピュリツァー賞を受賞したこともあるニューヨーク・タイムズのベテラン記者、ウィリアム・ブロード氏が書く記事が光っていた。同氏は科学記者として30年以上の実績を持ち、当局の発表をうのみにすることはまずない。米国では、安全保障問題を専門にする50代の女性記者がイラクの従軍記者として活躍するなど、数十年の経験を積んだ専門記者が報道現場の第一線で働くのは珍しくない。

日本の新聞社であれば、ブロード氏は第一線から退いていることだろう。なぜなら、記者として15年も働くと通常はデスクにされ、報道現場の第一線から離れてしまうからだ。記者として活躍すると経営幹部に抜擢され、“記者卒業”になるケースも多い。専門性を備えるための大学院留学などは論外だ。そんなことから、記者は専門性の高い「ジャーナリスト」というよりも、社内事情に詳しい「サラリーマン」になりがちだ。

言うまでもなく、日経新聞は経済紙としての専門性を売り物にしている。ところが、社内の体制を見ると必ずしも専門性に重きが置かれていない。それを象徴しているのが、同社内で伝統的に力を持っている経済部と政治部だ。経済部は霞が関、政治部は永田町を取材し、もっぱら一般紙と同じ「共通ネタ」を追いかけている。