ブッダは「私の教えを信じなさい」と言わなかった
お釈迦さまが涅槃に入られるとき、阿難という弟子が次のような質問をしました。「釈尊亡きあと、私たちは何を拠り所としたら良いのでしょうか」。阿難は誰よりもお釈迦さまの近くにいて慕っていた弟子の一人ですが、いざ釈尊が入滅されるそのときを迎え、不安になったのでしょう。
そんな阿難に対して、お釈迦さまは「自分自身を灯明としなさい」「法を灯明としなさい」と説かれます。これを「自灯明・法灯明」の教えといいます。
絶大な影響力をもって修行僧や衆生を教導していたお釈迦さまは、「私の教えを信じなさい」とはおっしゃりませんでした。弟子が自分自身を信じること、そして真理である法を拠り所にしなさいと説かれたのです。
カーストの階級制度など、当時のインド社会の文化的な背景もありますが、他人を拠り所にすれば他人の“奴隷”となり、他の人の人生を生きることになってしまうと、お釈迦さまは考えられたのだと思います。あくまで、自分の人生の舵は自分で取ること。最終的な決断をするのはいつも自分であり、その自分が拠り所にしていいのは、絶対普遍の真理だけだと心得ておくことが大切なのです。
そう考えれば、自分ではない他人の意見を鵜呑みにすることがいかに愚かなことかがわかります。あなたの人生の決断を他人に委ねたりしてはいけないのです。
悪い習慣を変えるにはどうすればいいか
「早く寝なければいけないとわかっているけど、スマホを見て夜更かししてしまう」「タバコやお酒を控えたいと思うけど、やめられない」「先送りにしてはいけないとわかっているけど、集中して取り組むことができない」――。人間は、理想的な状態を求める生き物でありながら、こうした悪習慣を変えられないで悩む愚かな生き物です。
生活における習慣だけでなく、「つい不満を言ってしまう自分を変えたい」「誰かと一緒じゃないと何もできない自分を変えたい」と、性格そのものを変えたいという悩みをおもちの方も、相談者のなかには大勢います。
「わかっているけど、できない」。これがまっとうな人間だということを初めに伝えておきたいと思います。変わりたいのに、変われないという悩みを人間が抱え続けてしまう最大の原因は、「自分の意志で変えられる」という誤解から生じています。
残念ながら、人間は良くないと思っている習慣を自分の意志で変えられるほど強い生き物ではないのです。このことを理解せずして、人は変わることができないと思っていいでしょう。