日本の音楽業界は既得権益に縛られている

ただ韓国の音楽産業は、デジタル化に呼応した独自のスキームを構築したといえる。これはドラマにも通底する部分であろう。やはり重要な点のひとつは、日本と違って既得権益にそこまで拘泥する必要がなかったことだ。

日本の音楽産業は戦前からの長い歴史を有し、それによって知的財産に関する権利保有という産業の利益創出を念頭に置くようになった。もちろん状況に応じてはリスク分散の意味で、共同原盤という形で権利の分割保有もあったが、主導権を握るためには独占したほうがいいという考えが根底にあったように思う。

長い歴史は産業内での柵も生じさせるし、かつ合従連衡も繰り返してきた。それが競合を生み、産業を発展させてはきたが、反面、業界内での信頼を醸成できたかというと疑問も残る。韓国にはこの歴史的前提条件が薄いので、デジタル化にアジャストした形で独自の青写真が描けたのではないだろうか。

韓国は企業や政府が柔軟に支援している

2つ目は、音楽産業のみならずコンテンツ企業全般とのシナジー効果を創出できたことだ。先にも触れてきたが、いわゆる垂直、水平の従来の企業統合ではなく、縦横無尽に協力関係が構築されていくさまは見事だ。まるでアメーバのように状況に応じてスキームが組み立てられる。そして、それはプラットフォームを軸にする形が取られる。

基本的にコンテンツ産業は、アナログの時代にも流通を押さえたものにアドバンテージがあるといわれてきた。デジタルの時代にはプラットフォームを押さえるのが定石だということを理解して戦略構築がなされているということでもある。

3つ目は、韓国政府の支援体制が確立している点だ。コンテンツ振興院設立に関しては紆余うよ曲折もあり、また現在でもコンテンツ関連のいくつかの外郭団体が存在しているものの、日本に比べて情報開示もなされており、広報活動も積極的に行われている。

日本は少なくとも一般市民には政府の対応が見えてこない。つまり、韓国のほうが透明性が高いという見方もできる。それは別の見方からすれば、政府とコンテンツ産業の関係性が産業界以外にも伝達されているということでもあろう。政府がコンテンツ産業の高付加価値に目をつけ、IMF危機の際に財閥の淘汰とうた、統合がなされたなかで、選択と集中が同時に行われたのかもしれない。