「学生であれ、企業の現場にいる人であれ、今の若い人は、繭の中に何重にも取り囲まれていて、その繭を破って外に出ていくという発想そのものを持つことがないのかもしれない」――連載の第2回目で石井先生はこう言った。異様なところに触角を伸ばしておかないと、変化できずに死んでしまう、と。連載最終回で取り上げる本は、日本の学者が書いたアフリカの狩猟採集民の話。勘の良い読者は気づくだろう。ここに書かれていることは、目先の問題を解くだけの「日々の仕事の姿勢」を問うているのだということを。日本のマーケティング研究の第一人者・石井淳蔵先生による刺激的ブックレビュー、最終回。

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石井淳蔵(いしい・じゅんぞう)●1947年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。神戸大学大学院経営学研究科教授などを経て、2008年4月より流通科学大学学長。専攻はマーケティング、流通システム論。『ブランド』『マーケティングの神話』など著書多数。「プレジデント」連載「経営持論」の執筆陣でもある。

これまでは海外の2つの著作を、研究者として評者が、そこからどのような影響を受けたのか中心に紹介してきました。最後の3回目は、身近な日本の研究を取り上げます。紹介するのは、人類学者菅原和孝氏の研究です。筆者は、表題にもみられるように、「身体」を切り口に狩猟採集民族に迫ります。前2回と同様、焦点は、その内容よりその研究の方法や姿勢にあります。

狩猟採集民がひっくり返す「欲求階層説」

とはいえ、アフリカ大陸の南部、カラハリ砂漠の狩猟採集民は文化人類学研究でよく扱われる対象です。その話自体がたいへん面白く、まずはその話から(注1)

(注1)グウィを含むそれら狩猟採集民は、一般にはブッシュマンという名で知られている。ただ、それは「藪の人」という意味なので、最近はあまり用いられないらしい。しかし、「カラハリに住む自由人」という意味も残っているようなので、ここではブッシュマンという名前も使っている。

グウィは、狩猟採集しながら暮らしている。食物をとくに蓄える工夫があるわけでもないので、獲れたものをそのまま口に入れるというその日暮らし(hand to mouth)の生活です。といっても、南国の地のようにバナナやヤシの実が有り余るほどに繁る土地柄ではなく、あまり食物となりそうな高い木もない砂漠叢林の地です。そうした貧しい植物環境の中にあっても、彼らは100種を超える食用植物を識別しているといいます。レヴィ=ストロースのところで紹介したインディアンの話をそのまま思い出しませんか。

グウィが生きていく上で十分な栄養とカロリーは、貧しいものの(乾期に本当に困ったときの根菜類を含め)、そうした植物採集によって供給されます。その日暮らしの生活というと、つい余裕のない生活を想像してしまいますが、彼らは採集のため4~5時間程度しか使っていません。現代文明に暮らすわれわれよりよほど余裕のあるもののようです(笑)。

しかし、男たちは獲物を求めて狩猟に出ます。それには何日もかかる上に、その間、食料は手に入らなので。食事抜きにもなります。ですが、彼らはそれでも部隊を編成して出ていきます。その理由は、ブッシュマン研究者の田中二郎氏に言わせれば、狩猟で得る動物の肉が美味しいから。美味しさを求めて努力するのは、いわば今も昔も変わりません!(田中二郎『ブッシュマン、永遠に』(昭和堂、2008年)

もちろん、食物調達としては効率の悪い狩猟を、男たちがやろうとするのは、それだけが理由ではないでしょう。狩猟は、男だけの仕事であり、男たちの勇気や力や技能を誇る場でもあるというのも大きい理由になります。

こうした彼らの生活についての話を聞いていて、つい考えてしまうのは、「欲望は階層的だ」という心理理論(?)です。経営学の世界でいろいろに用いられる理論ですが、文明人の偏見のように思えてきます。

人はまず、生理的欲求を覚える。そしてそれが充足されると、次に安全の欲求が芽生える。それが充足されると、次は所属と愛の欲求が、ついで承認の欲求が、そして最後に自己実現の欲求が生まれ充足されていくというのが、その理論の骨子です。ですが、このブッシュマンの話を聞くと、その理論は一面的に見えてこないでしょうか。

世界最貧の地で暮らす彼らは、生きることで精いっぱいのはず。その彼らが、生活時間を犠牲にして狩猟に出かける。美味しいものを食べたい、自分の力を示したい、勇気を誇りたい、みんなと一緒に食べたい、……等々。そこには、さまざまな欲求が潜んでいます。そもそも、欲求に階層があるという想定自体が、人を小馬鹿にした話に思えませんか。最貧の地に住む人にも、昔々の縄文時代暮らす人にも、そして現代に生きるわれわれにも、人としてやりたいことに違いがあるわけではありません。ここで言われるところの高次の欲求とは、限られた人に存在するものではなく、人としてそれなしでは生きてはいけないものなのではないでしょうか。

私たちの知ることがなかったこうしたブッシュマンについての研究を発展させてきたのは、京都大学の人類学研究者です。彼らは、人類学とともにサル学でも有名です。チンパンジーの実際に群れている現場に長期にわたって棲み込み、一頭一頭個体識別して観察する手法を確立したのは彼らです。狩猟採集民族とチンパンジーを同列において話しするのは、狩猟採集民には何となく失礼な話ですが、この2つの対象を同じように、その生活ぶりの視点から比較・研究するのは、人の成り立ちを考える上で大事なテーマだという考えがその基礎にあるのでしょう。

『身体の人類学』は、1993年、河出書房新社刊。著者の菅原和孝(すがわら・かずよし、文化人類学者)は、1949年東京生まれ。69年、京都大学理学部入学。73年、京都大学大学院理学研究科に入学し、京都大学霊長類研究所で学ぶ。80年、北海道大学文学部助手。81年、京都大学理学博士学位取得。88年、京都大学教養部に赴任。92年、京大総合人間学部助教授。97、同教授。近著に『ことばと身体-「言語の手前」の人類学』2010年、講談社選書メチエ。

『身体の人類学』
菅原和孝著/1993年河出書房新社/本体価格4800円
『ブッシュマン、永遠(とわ)に。――変容を迫られるアフリカの狩猟採集民』 [単行本]
田中二郎著/2008年/昭和堂/本体価格4800円
『ことばと身体』
菅原和孝著/2010年/講談社/本体価格4800円