なぜ賃上げよりも労働時間短縮を重視したのか

こうした力点の変化の背景には、マルクス自身が革命の困難さを認識したことがあります。『共産党宣言』のマルクスは、労働者の窮乏化と恐慌によって、近いうちに革命が起き、それで社会主義体制を打ち立てることができると、楽観的に考えていた節があります。けれども、1848年革命における労働者蜂起はうまくいかずに、資本主義は息を吹き返しました。

1857年に始まった恐慌の時も同じでした。資本主義のしぶとさを前にして、マルクスは、その力の源泉を探究する必要性を痛感するようになっていきます。それがマルクスを経済学批判に導いたのであり、その研究成果である『資本論』においては、マルクスは楽観的な変革ビジョンを捨て去り、革命に向けた資本主義の修正に重きを置いたのです。

その際マルクスは、賃上げよりも労働時間短縮を重視したわけですが、これも、物象化という視点から考えると、その理由がわかります。時給を上げることにももちろん意味はありますが、労働者たちはより長く働いて、貨幣を手に入れようという欲求からは解放されません。むしろますます貨幣に依存するようになっていく。欲望は無限だからです。

余暇の質を変えることで社会は豊かになる

実際、西欧福祉国家は労働時間短縮を採用しました。例えば、フランスは労働時間が週35時間です。こうした労働時間の短縮は、労働者に余暇(自由時間)を生みます。けれども、余暇があっても、日曜日にどこの店も開いていれば、やはり資本主義に吞み込まれてしまうでしょう。だから、日曜日はレストランや美術館などを除いて、百貨店やショッピングモール、スーパーなどは原則として閉まっているわけです。

斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)
斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)

お店が閉まっているから、資本主義的な消費活動をすることがそもそもできません。「ウィンドー・ショッピング」というのは、日本でしばしば誤解されているような、お金がなくてお店の外からブランドの商品を眺めていることを指すわけではありません。日曜日にお店が閉まっているから、仕方なく外から眺めているのです。

店が閉まっているので、必然的に別の形の、余暇の過ごし方が生まれます。カフェで読書し、政治談義をする人もいる。スポーツチームでサッカーをする人もいる。庭や農園の手入れをしてもいい。デモやボランティアをする人もいます。まさに脱商品化と結びついた余暇が、非資本主義的な活動や能力開花の素地を育むわけです。それが、さらなるアソシエーションの発展や脱商品化の可能性を広げていくことにもつながっていきます。

こうして、コスパ思考に回収されない、社会の富の豊かさが醸成されることになるのです。

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