BIやMMTには「下からの改革」の発想が抜けている

一方、政府の市場介入が大きくなり、脱炭素や人権擁護などの規則を徹底すればするほど、資本の側からの反発も強くなります。そうすると、資本は国内投資から引き揚げはじめ、通貨は売られて、インフレ圧力が高まるかもしれない。すると、増税や利上げによる景気の引き締めが必要になってしまう。

そうした資本のストライキに打ち勝つような力は、MMTの経済政策のうちにはありません。結局、トップダウン型で大胆な政策を実行しようとしても、国家が資本のストライキに負けないようにするために、相当程度のアソシエーションの力が必要になるわけです。その際、アソシエーションに求められるのは、労働者たちが、何に投資をするか、どうやって働くか、などを自分で決められるような、生産の実権を握るということです。

現代の金融理論
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もちろん、そのような生産の領域における改革が非常に困難なのは自明のことですが、だからといって、資本と賃労働とのパワーバランスを変えるという根本課題から目を逸らしてはなりません。けれども、そのアソシエーションを作るという視点が、BIにも、ピケティにも、MMTにもとぼしいのです。そして、そのことは偶然ではありません。

階級闘争なき時代にトップダウンで行えるような政治的改革が、BIであり、税制改革であり、MMTであるからです。これらは、政策や法の議論が先行する「法学幻想」に囚われているのです。それに対して、物象化・アソシエーション・階級闘争というマルクス独自の視点をここに導入することは、思考や実践の幅を大きく広げてくれるし、これらの大胆な政策提案を実現するためにも、欠かせない前提条件なのです。

「トップダウン型」から「ボトムアップ型」への転換

以上の議論からもわかるように、マルクスは、上からの設計だけで、社会全体が良いものに変わるという考え方を退しりぞけました。(これはトマス・モアのような設計主義的なユートピアと大きく異なる考え方です。)この点は極めて重要です。

なぜなら、アソシエーションを通じた脱商品化を戦略の中心に置くことは、ロシア革命のイメージが強い、20世紀型の社会変革のビジョンに、大きな変容を迫るからです。「トップダウン」型から「ボトムアップ」型への大転換と言ってもいいでしょう。この変化は、マルクス自身の革命観の変化にも表れています。

マルクス自身も、まだ若かった『共産党宣言』(1848年)の段階では、恐慌をきっかけとして国家権力を奪取し、生産手段を国有化していく「プロレタリアート独裁」を掲げていました。けれども、『資本論』では、議論の力点は大きく変わります。『資本論』に、そのような恐慌待望論は見当たらなくなるのです(プロ独の考えを捨てたわけではありませんが)。むしろ、『資本論』のマルクスは労働時間短縮や技能訓練に力点を置いていました。革命の本であるにもかかわらず、重視されるのは資本主義内部でのアソシエーションによる改良なのです。