「ちゃんと老いている」という意外に楽しい発見

――歳はとりたくない。
――いつまでも若くありたい。

そんな声をよく聞きます。でも、そうでしょうか。

老いをわたしは受け入れます。

いかに老いるか――。死を受け入れることが死生観なら、老いを受け入れるのを「老受観」と呼んでみてはどうでしょうか。いかに老いを受け入れ、つき合っていくか。

かつて「老人力」という言葉が一世を風靡しました。作家・赤瀬川原平さんのベストセラー『老人力』(筑摩書房)がきっかけでした。

「物忘れが激しくなった」「ボケた」など老化による衰えをマイナスにとらえるのではなく、「老人力がついてきた」というプラス思考へ転換するという、逆転の発想です。老いは素晴らしい、老いには活力があるという話でした。

老人力というのは、いい意味で少し開き直った感じなのですね。

たしかに物忘れはするし、階段を上がれば息が切れます。

そのとき、「おお、自分もしっかり成長しているな」「ちゃんと老いてるな」と思えれば、これこそ究極のプラス思考ではないでしょうか。老いもまた成長ととらえるということです。

たしか長嶋茂雄さんだったと思います。

還暦を迎えたとき、インタビューで感想を聞かれて、こういったようなことを言っていました。

「初めてでよくわかりません」

わたしも同じ気持ちです。老いは経験したことがありません。だから老いを受け入れ、楽しもうと思っているわけです。

60歳からの「未経験な時間」を楽しもう

歳をとったらわかることがある、といいます。それらに出合うことが今から楽しみです。というより、きっともう出合っているのだと思います。

わたしの代表作の一つである漫画『黄昏流星群』は、40代以降の中年・熟年・老年の男女を主人公とし、恋愛を軸に人生観などを描いた短編集です。

公園を歩いていたら老夫婦
写真=iStock.com/Milatas
※写真はイメージです

その作品の中には、わたし自身が歳をとったからこそ、見えてきた景色や考え方が反映されています。

それが同世代の読者の共感につながっているのだと思うのです。

「老受観」――いかに老いを受け入れるか。

その差がきっと、あなたの老後を楽しい発見の時間にするか、若いころを思って嘆く時間にするかの差になっていくのではないでしょうか。

60代を迎えることができるというのは幸せなことだと思います。

文豪・夏目漱石は49歳で亡くなっています。現代からすれば早すぎた死ですね。

ですから漱石は、三四郎の青春は描けても、三四郎の老後は書けなかったと思います。“坊ちゃん”の老後など知るよしもありません。

漱石がどんなに想像力をめぐらせても、老境の心理を描かせたら、わたしやみなさんのほうが、経験上のリアリティがあると思います。なぜならわたしたちは、60代、70代の現実を呼吸していますから。

豊かな老受観を持って、これからの60代を「未経験な時間」として大いに楽しみませんか。