未開拓な学問に足を踏み入れた理由

山田さんが忍者の研究を始めるまでは、ほとんど忍者の研究はされていなかった。そんな未開拓な学問に山田さんが足を踏み入れたのは、三重大学が地域文化に貢献していく方針を取り始めたからだ。一地方大学として生き延びていくためには、地域に密着した活動をしていくべきだという認識があったという。

「忍者という存在は世界で名前も知られていて、本もいろいろ出ていましたが、案外しっかりした研究がなされていませんでした。どこから得たのか根拠がしっかり明示されないまま、いろんな本が書かれていました。大学がやっていくからには、『ここにこんなエビデンスがあるからこのようなことが言える』、というのを一つ一つ明らかにしていき、忍者という、日本文化の根幹になるようなものを研究していこう、ということで忍者研究が始まることになりました」と山田さんは振り返る。

「2012年に研究を始めた当初は、忍者はあまり資料を残さないし研究ができるのかなと思っていました。ですが伊賀(三重県)には伊賀流忍者博物館があって、そこに忍術書がけっこう所蔵されていたんです。これまでは外部に一切見せていなかったそうですが、『三重大学が研究するなら全部見て研究に使ってください』と申し出てくれて、忍術書の写真を撮って解読するところから研究を始めました」

昔の人は忍術書を守り、信じきっていた

忍者の研究は、とにかく忍術書を読むことから始まる。

「大正時代くらいから忍者の研究がありますが、私たちが一番使っている良い資料の『万川集海』は大正時代にはまだ発見されていません。忍術書というのは、持っている人以外に誰にも見せてはいけないということが言われていて、大正くらいまでは、家で忍術書を持っていても教えがまだ守られていて、他の人には見せていなかったと思うんです」と山田さんは推測する。

昭和20年代に『万川集海』が世に出ると、忍者の研究が本格化していった。だがそこで書かれているものは、大衆ウケを狙った研究結果が多かった。