「忍者が活躍した日本の中世というのは、まさに自力救済の世界なんです。例えば現代では裁判所に行くと公平な形で裁判官がいますが、当時は知り合いに賄賂を贈るなど、常日頃から仲良くしておくことでいろんなことを有利に運べる、という具合でした。困った時は知り合いがいるから助けてもらえるのであって、知り合いがいるからこそ社会が回っているという世界でした。忍者の世界もまさにそういうところがあります。

現代人も、ネットの情報をはじめ情報がたくさん身の回りにありますが、本当はもっといろんなことを身の回りの人に相談しても良いのだろうし、ちょっと困ったことがあった時に一番親身になってくれるのは仲の良い人だと思うので、そのような人間関係を構築するというところを私は忍者から学びました」と山田さんは語る。

継承の機会がなくなり、忍術書に残すように

こうして全ての忍者研究の原点となる忍術書だが、意外と見つけるのは難しい。ほとんどは伊賀・甲賀(滋賀県)に残っていて、末裔まつえいの人が持っているというケースが基本だ、と山田さん。江戸時代になると多くの藩が忍者を抱えることになるが、そのような忍者も、大体は伊賀や甲賀の出身。そのため、見つかるのは結局伊賀・甲賀の忍術書がほとんど。

忍術書が滅多にないのは、元々忍術書というものが存在していて、それを読んで受け継がれていくものではなかったからだ。忍術書が完成したのは17世紀中頃になってからで、それ以前は兵法書の中に少しだけ忍術が書かれている程度。実戦がある時は、親から子へ身をもって教えるといった世界だったものの、17世紀中頃になると戦いがなくなって実戦から遠ざかっていった。

能や歌舞伎で、所作は書いて覚えるのではなく、見て覚えていくものであるのと同じように、忍者の世界もそうだった――そしてそうした継承の機会がなくなっていったことで、書いて残すようになったのだろう、と山田さんは言う。

そこで有利に働いているのが、国際忍者研究センターが伊賀にあることだ。「伊賀だけあって、先祖が忍者の方が『家にこんなものがありますけれども……』と、資料を持ってきてくださったことは何度かあります」と山田さん。三重県の中でもではなく、忍者の聖地である伊賀に研究センターがあり、そこで研究が進められているということは絶大なPR効果を生み出し、巡りめぐって研究にも役立っている。