徳川家康は、「忍耐」の男だったというイメージがあるが、本当にそうなのか。歴史小説家の童門冬二さんは「実はただ漫然と我慢していただけではないという。実はその慎重さとは裏腹に、時機をみて周囲の目をむかせる果敢な行動をとり、人間心理を巧みに操っていた」という。家康はどのように世論を味方につけ、天下を奪い取ったのか? その秘密は、「慎重」と「果敢」の絶妙なバランスにあった――。

※本稿は、童門冬二『徳川家康の人間関係学』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

狩野探幽筆「徳川家康像」(
狩野探幽筆「徳川家康像」(画像=大阪城天守閣所蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons

「人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し」

東照公御遺訓として、次のような言葉が残っている。