徳川家康は、「忍耐」の男だったというイメージがあるが、本当にそうなのか。歴史小説家の童門冬二さんは「実はただ漫然と我慢していただけではないという。実はその慎重さとは裏腹に、時機をみて周囲の目をむかせる果敢な行動をとり、人間心理を巧みに操っていた」という。家康はどのように世論を味方につけ、天下を奪い取ったのか? その秘密は、「慎重」と「果敢」の絶妙なバランスにあった――。
※本稿は、童門冬二『徳川家康の人間関係学』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
「人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し」
東照公御遺訓として、次のような言葉が残っている。
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