史上2回目のアンテナの故障

そして10年4月、山崎さんはようやく夢を実現するときを迎えた。今回のミッションはISSに実験装置などを輸送するのが目的。山崎さんはロボットアームを駆使して物資を移動、設置する作業を受け持った。

国際宇宙ステーションにドッキングされている日本の実験棟「きぼう」の模型。山崎さんはカビの変化を調べる実験なども行った。

しかしミッション本番、地上との高速高容量データ通信や、ISSとのドッキング時にレーダーシステムとして使われるKuバンドアンテナが故障してしまう。今回で131回目となるスペースシャトルのミッション史上2回目のレアケースだった。

「事前に想定訓練をしていたとはいえ、実際に起きるとは思っていなかったのでびっくりしました。ISSへのランデブーは急遽予定を組み替え、クルーのチームワークによって成功しました」

また、Kuバンドアンテナが使えないために生じた、ISSドッキング中にシャトル表面にある耐熱タイルを検査し、その画像を地上に送信するという新たなミッションでも難問が控えていた。10メートルのロボットアームに10メートルの延長ブームをつなぎ、表面をくまなく検査するのだが、訓練では未経験。通常とは違う動かし方でロボットアームを操作することが求められた。しかもシャトルとロボットアームの隙間は最も近いところでわずか40センチメートル。そんなとき、ロボットアームを操作する山崎さんを支えたのはクルーや地上管制官たちだった。

「地上から新しい手順が送られてくるので、前日にクルー同士でレビュー。当日は緊張しながらも無事、作業を行うことができました。こうした仲間がいるからこそ柔軟に計画が変更できたのです」

スペースシャトルという複雑で高度なシステムを操作するのも、ミッションを遂行するのも人間の知恵や技術あってこそ。Kuバンドアンテナが使えないという想定外の出来事も、そこに関わる大勢の人たちの信頼関係が大きな力となって、ミッション達成へ結びついた。

今、子どもですら夢を持ちづらい世の中になっているといわれる。そこで11年もの紆余曲折を経て夢を実現させた山崎さんに、夢を持って挑戦し続けることの意味について尋ねてみた。

「不安を恐れず、最初の一歩を踏み出してみたらどうでしょう。そのときできることを積み重ねていくことが、大きな夢につながっていくのではないでしょうか。それにとことんまで本気で考えていくと、その本気が人にも伝わり、状況が少しずつ前に動き始めていくように思えるのです」

先日、山崎さんの娘が小学校で将来なりたいものの絵を描いてきた。そこには宇宙飛行士の姿があった。もがきながらも自らの「夢=ミッション」を達成した母の姿を間近で見守ってきた山崎さんの娘も、きっと何かをつかみ取ろうとしているのだろう。

※すべて雑誌掲載当時

(川本聖哉=撮影)
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