しかし、仲間の宇宙飛行士が命を落とし、その後の計画が白紙になったコロンビア号の事故は、山崎さんに「宇宙に行く」ことの意味を改めて問い直す、衝撃的な出来事でもあった。「自分が目指していることが本当に正しいことなのか」――。何もできないもどかしさのなか、客観的に自分を見つめ直し続ける山崎さんがいた。
「違う道もあるんじゃないかとも考えました。でも、宇宙に行くという夢を持ち続け、初志貫徹でやり切るのも意味があると思うようになりました。どちらがいいのかは正直今でもわかりません。続けることもそれなりに大変だし、立ち止まってやめる勇気も必要だと思います」
確かに、目標に向かって前進し続けることは大切だ。しかし、時に立ち止まって考えることで得られる“気づき”はかけがえのないものとなる。誰しもに共通していえることであろう。しかし、すぐ後にそのことを山崎さんは痛感することになる。
当初はISS長期滞在要員として、基本的には日本を拠点に訓練を続けることになっていた山崎さんであるが、コロンビア号の事故後、急遽ロシアのソユーズ搭乗資格を取り、宇宙飛行の可能性を少しでも広げることが決まった。当時、すでに結婚して娘を出産していた山崎さんは単身でロシアに渡る。そこで、夫の山崎大地さんがISSの運用管制官になるという自らの夢を一旦中断して会社を辞めることを決意。山崎さんの全面的なサポートに回った。
万全の体制が整ったように思えたが、新たな試練が山崎さんを襲う。夫が環境適応障害を患ってしまったのだ。
次にスペースシャトルの搭乗資格を取るために渡米した山崎さんのもとに、大地さんが娘を連れてきて、家族一緒に暮らし始めた。大地さんは一段落したら、宇宙関係の仕事に就くつもりであった。しかし、アメリカでの就労許可が下りず、日に日に落ち込んでいった。山崎さんが宇宙飛行士という夢に邁進することが、夫を精神的に追いつめていると気づいたとき、いつもは「なんとかなるさ」と楽観的な山崎さんも深い挫折感を味わう。
「いろんな人の苦悩を知ったうえで、それでも宇宙に行く。宇宙へ行くことの深みが増したように思いました。今後もさまざまな困難があるでしょう。でも、そこに意味を見出し、価値を決めるのは自分。すべての出来事には意味があり、それを信じて乗り越えていこうと思いました」
柔らかな笑みを浮かべ、丁寧な口調で言葉を重ねていく山崎さん。自分の力ではどうすることもできない困難を正面から受け止め、人の痛みを感じながら自らの夢に価値を見出し、訓練を積み重ねていくことで、強さと優しさを獲得していったのだ。