史実を無視してもドラマ性を描く

それは義時と政子との関係についてもいえる。身内がことごとく非業の死を遂げる政子が、悩まなかったはずはない。しかし、義時のさまざまな「思い通り」によって政子が苦しんでいるような描き方はいかがなものか。

史料からは、父の時政を追放して以降は、政子と義時は二人三脚で歩み、さまざまな決定をしてきたとしか読み取れないのだ。

実朝が殺されると、政子は自殺未遂をはかり、「伊豆に帰る」と言い出す。人間的で涙もろい政子と、冷酷非道な義時。そんな描き方は、最終回の義時の「非業の死」に結びつけるための策だと想像する。

だが、結論ありきで、そこに向かうために、史料から確認できることまで無視して、都合よく脚色を加える姿勢は、すでに脚色を超えてしまっている気もするのだが。

三浦義村は公暁に自ら手をかけたのではない

また、ことを成し遂げたのちの公暁は、『吾妻鏡』や『愚管抄』によれば、三浦義村に使者を送って、「自分が将軍の後継だ」という旨を伝えている。義村はすぐ義時に通報し、義時から「殺せ」という指示を受ける。そこで強敵である公暁を殺すために、長尾定景という家人らを送って討ち取らせた

しかし、第45話「八幡宮の階段」では、義村が食事中の公暁を自ら刺し殺している。要するに、義村は黒幕だったので自分で落とし前をつけた、というストーリーにされているのである。史料で確認できることは、それに従ってもいいように思うのだが。